建築学科攻略サイト

凡人が建築学科をスムーズにクリアしようと試みるために作ったサイトです。「攻略したぞ!」という過去形ではなく、「攻略できるかな?」というニュアンスです。
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自分が建築学科出身で、今いろいろと仕事をしている中で、実際の現場を見て思ったこと、感じたことなどを、建築学生時代の経験に絡めて書いております。
よろしくお願いいたします。
 

2018年03月08日

そのスープ、そろそろ個体になって食えなくなるんじゃないの?



こんにちは。



最近、質問箱とかTwitterとかばかりやっていて、さらに遊びでインスタも始めたので、その時々にその都度思ったことを書いたりしているのですが、いかんせんそれが楽(らく)すぎまして・・・



永遠にブログ記事を更新することを忘れてしまいそうですので、ここで一旦、最近の出来事についてちゃんとした記事を書いておこうと思います。



この時期になると毎年毎年、僕のTwitterのTLは卒業設計展の話題で溢れかえっています。



そろそろ、



「もっと現実の社会はこう変わっていくだろう」とか、

「VRのこんな良いアプリが出たよ!」とか、

「こんな面白いもの(サービス)が出来ていたよ!」とか・・・。



そういうところで盛り上がってほしいのですが、そういうのはごくごく一部の人の中でしか盛り上がっていないみたいで、多くは卒業設計展がらみの話題でいっぱいです。



それはそれでいいんですが、それこそ、お客さんがずっとずっといないラーメン屋さんが、継ぎ足し継ぎ足し秘伝のスープを煮込み続けていて、



「それ、そろそろ個体になって食えなくなるんじゃねぇの?」



っていう状況になっているような気もします。



界隈では、まだまだ煮込む、さらにつぎ足す・・・あと10年、あと20年・・・



一旦、そのスープ、ほんとにうまいかどうか、お客さんに食べてもらうか、新しいスープを作るとか、ほかの料理から新しいレシピを学ぶとか、色々していかないと、どんどん濃縮されて寸胴と一緒に岩みたいな塊になるんじゃないのか?



って思っちゃうので、感性の豊かな人はいったんそういう界隈を外野から見つめなおしてみると良いですね。



これからゆっくり若い学生も巻き込みながら継ぎ足し継ぎ足しスープを煮込み続け、20年後くらいにお客さんに



「どうぞ!召し上がれ」



ってスープが固まってできた岩提供して



「いや、こんなの食えねぇよ!」



って言われて、



「え!?食えねぇの!?これスープだよ!食えるよ」

「いや、食えないよ!」

「なんだと!この分からず屋!」




ってなるのが一番やばいですし、「邪悪」ではないんですけど、こういう努力に時間と労力を全力でつぎ込む行為は相当な博打だと思っていて、それを知識人っぽい人たちが先陣切って判断力の鈍い若い世代に推奨していくのはもはや罪ですよ。。。

※ほんとは、こっちに書いてたけどややこしくて分けた記事

■ 僕から見た建築界隈を、ちょっと誇張して書いていてみました。

こちらも参考に・・・


なんとなく、最近はSNSも巻き込んで、いろいろと議論されているように見えますので、建築界隈のわりと外側にいる人も参加してきて、「卒業設計を競いあう」っていうことに疑問を持つ人が増えてきたり、「それって違うんじゃね?」みたいな意見が出てきたりするのですが、今出ているこういう議論にもざっくり二種類あって、片方は「それ自体の存在意義を問う」もので、もう片方は「それが存在する前提で、その内容に対してどうこう」という議論だと思います。



で、この二つをきっちり見分けることが出来ない人が多いような気がします。



これが原因で議論がごっちゃになって複雑に見えている人も沢山いると思いますが、後者の



「それが存在する前提で、その内容に対してどうこう」



議論は結局今までと同じようにスープを濃縮する議論を続ける行為ですから、僕はあまり価値のある議論ではないと考えています。



けど、こっちのほうが盛り上がっている・・・。



なんだこのラーメン岩石化計画魂・・・



それこそ、僕は学生のころから



「それ自体の存在意義を問う」



っていうスタンスを今まで一貫していますので、相変わらずこの内戦状態が続いている状況を外野から見ているのですが、毎年よくわからない方向に向かってちょっとずつしか進んでいかない議論に対して、いつまでこの無意味な議論が続くのかなぁと感じています。



「2日後はどう」とか「3か月後はどう」とか「来年はこうするべきだよね」とか・・・



目先のことも大事ですが、いったんそれよりももっと先に焦点をあてて、そこから今の状況にさかのぼってくることが大切ではないでしょうか。



目先のことを積み重ねていって自然にたどり着く未来と、いったんゴールを決めて、仮のゴールを見たうえで、そこから逆算してきた状態でまたスタート地点から目先を見て地道に前に進むのと、進み方、進むスピードはそこまで大きく変わらないんだけど、たどり着くゴールが違いますからね。



明日のスープはより濃厚に。明後日のスープはもっと濃厚に・・・



・・・



そもそもスープの濃厚さを追求する意味は・・・?

そもそも市場は濃厚スープを欲しているの・・・?



そこが抜けてたらどうにもならないよ・・・。



色んな議論を重ねることは大事なことだし、やったほうが良いと思うんですけど、何か自分の軸をもって議論に参加したほうが良いと思いますよ。



じゃないと、今界隈がどういうテーマでどういう軸とどういう軸を持った人たちが議論しているかも分からなくなって、結果「そこに参加だけしているけど宙に浮いている。」みたいな状況になりますので。



審査方法とか、これは本当に1位なのか?とか・・・



どうでも良くないですか。



1位は1位だよ。結果1位なんだから・・・。



多分、目先のことしか見えてない人、何の軸も持っていない人にとっては



「この作品が社会的・建築界隈的に良い作品かどうか?」



の議論をしているっていう目線で議論が展開されていると思っているんだろうから、色々と順位付けとか審査方法にケチつけたくなるんだろうけど、僕の目には



「外的要因で多少確率を操作できる(←ここ重要)サイコロを転がして出た目の作品が1位だった」



っていう風に見えているんです。だから確率論的に出てきた1位は1位で良いんですよ。



こういうこと書いたり言ったりすると、その都度



「いやそうじゃないでしょ!」



っていう反論を受けるんですけど、それはその瞬間とか、直近1年とか、そういう極端に短いスパンでしか見えていないからそういう疑問が生まれてくるわけで、もう少し長い目で見るとたぶん僕が言っていることも理解できるんだろうなぁと思います。



僕が学生のころは今よりももっと「コンペの存在意義に対する疑問」を持っている人が少なくて、それこそコンペで賞取った作品=いい作品、未来の建築にインパクトを与える作品、っていう扱いを大多数から受けていたように思います。



僕は「なんのためにコンペやっているの?」って聞かれて、いつも「バイトするより金になるから」って答えて一定数の反論・反発を受けていたのですが、当時から現代の「アイデアコンペの“賞”って意味あるの?」っていう雰囲気に、収束していくこと、もっと先に「”アイデアコンペの賞”の価値がどんどんなくなっていく」ことが、当時からなんとなく想像できていたので、その考えは一貫して変わっていないのです。



そして、このアイデアは1位にふさわしいか?この案に社会性はあるのか・・・・?



そんな無意味な事考えている暇があったらもっと世の中の事勉強したほうが良いと思いますよ。



僕は昔を生きている人間では無いから、昔の詳しい事情は本とか歴史でしか知らないけど、コンペのシステムって昔出来た当初の時代性と、今の時代とっコンペの関係性って全然違ってて、賞金以外の意味はリアルに無いと思いますよ。



世の中の事っていうと抽象的すぎますので、もう少し幅を狭めてみると・・・



前にも何回か書いたことありますが、今の少なくとも日本では、建築=経済発展の象徴っていうわけでも無いですから。



個人もパブリックも潤沢なお金があって、広大な土地があって



「よっしゃ!ばんばん建物建てて開発していくぜこのやろう!」

「より良いものをよりクオリティ高く作っていこうぜ馬鹿野郎!」



っていう状況では無さそうでしょ?



「ガンガン行こうぜ!」っていう時代だったら、設計の部分だけ特価して学んでいたらなんとなくおこぼれで仕事のチャンス来たかもしれませんけど、今なんておこぼれで仕事来ないと思いますよ。



おこぼれみたいな仕事も取っていかないとやっていけない会社沢山ありますし。(赤字出ても内部留保でカバーできちゃう会社がそういう仕事するから余計隠れてるのが現状だと思いますよ)



そうなると、「良いアイデア」は一旦置いといて・・・



建設・建築業での資金調達・土地仕入れ・宅地造成・法律の知識があったほうが良いですし、世の中の現状も理解していた方が良いわけです。



僕もたまに建物の仕事しますが、僕は優秀な設計士でもデザイナーなわけでもなくて、ただそのへんの建築士・建築家よりも不動産情報や地域制・資金繰り・税金・法律に詳しいから、「建物(空間)つくろうぜ!」っていう環境を0から作れるからです。



もっと範囲を狭めて個人住宅の話とかすると、例えば



「自分がいくら資金調達できるか分からない。土地もあるかどうか分からない。地域性も分からない。税金関係の知識も無い」



っていう人に



「住むことについて根本から考えた全く新しい住宅を一緒に作っていきましょう!」



なんて言っても、



「いやぁ・・・。不安だし、分からないし、それどころじゃないからねぇ・・・」



ってなるわけです。
※つうか自分を作り手では無く生活者に置き換えたら普通にこういう状況になりません?



「いや、今回の住宅は今までの住宅の概念を根本から覆す云々かんぬん・・・」



とか、どんだけ語っても、どんなに素晴らしいデザイン能力を持っていても、建築に対する知識があっても、仕事につながらない。



だって“環境”が無いから。



※「いや、デザインが良ければ仕事に繋がるんだ!」って言い張るなら、自分で家建てたら?うまい事やったら5000万くらい100%自己出資でも100%回収できる+今後につながるって事だから。



昔みたいに国や地域がお母さんみたいに「は〜い、ここですきなものをつくりましょ〜ね〜」って環境を与えてくれている時代では無いですよ。



逆に、



「自分がいくら資金調達できるか分からない。土地もあるかどうか分からない。地域性も分からない。税金関係の知識も無い」



っていう人に



「あなたこれだけの資金調達が出来て、この枠内であれば親族からの資金援助が受けられて、こういう申告すると税金が還付されて、補助金も受けられて、ここのエリアだとここの自治体が子育てに対する補助が厚くて、このエリアの中ではこういう土地が良くて」



って、場所・金・生活を全て提案出来れば、あとはその場所の制限と予算の縛りの範囲内であれば何作っても良いっていう環境を生み出せますので、そこで自由に創作をすればいいと思います。
※簡単ですからね。20代前半の頃の僕でも資金繰り出来たわけですから、難しいわけがない。



とりあえず、こういう全体最適の時代に、極端なデザインの部分最適ばかり勉強して、「あれがいい」「これが良い」とか順位付けて、それに一喜一憂して、部分最適の中で「これは社会と接点ありそう」「無さそう」って・・・



いい加減、「環境がある前提」でばかり話をせずに、ちゃんと接点持つことを考えたらいいのに・・・。



また「がんがん行こうぜ!」っていう時代が来たらそれは大変喜ばしいことですけど、「そうに違いない」とか「昔みたいに環境がある」っていう前提で色んな議論を展開しても仕方がないと思います。



だから、前ツイッターにも書きましたが



コンペ出すなら出して、その賞金で本買って、知らない講義うけて、勉強深めて道具揃えてプロモーションして、いろんなとこ行って色んなもの食って、感性ひろげてまた創作したらいいんじゃないの?



普通にそういうことが出来ない、ある種すげぇ順位とかに拘る人が、多分こういうときにわけわからん議論始めるんだと思いますよ。



そういう人達で集まって、仲良くスープを個体にしていくのもロマンがありますが、せっかく未来があるわけですから、もう少し外側に目を向けて、



全体を最適化するにはどうしたらいいか?



を、考えてみると良いと思います。





posted by まっく at 15:23| Comment(0) | 建築業界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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