建築学科攻略サイト

凡人が建築学科をスムーズにクリアしようと試みるために作ったサイトです。「攻略したぞ!」という過去形ではなく、「攻略できるかな?」というニュアンスです。
正確には、建築学科(を)攻略(したい人の)サイトです。
自分が建築学科出身で、今いろいろと仕事をしている中で、実際の現場を見て思ったこと、感じたことなどを、建築学生時代の経験に絡めて書いております。
よろしくお願いいたします。
 

カテゴリー:参考資料


2014年03月19日

建築という視点から・・・

こんにちは。

今回は、Youtubeという動画サイトにアップされている、約320秒の動画を観察することで、一体どんなことが分かるのか、どういうことが学べるのかというテーマで、実際に僕がYoutubeの動画をみて思ったことや感じたことをお話しようかなと思います。


細かいニュアンス等を含めて音声でお話しているのですが、一応、音声が生理的に無理という方向けに、または音声では分かりにくい部分の補足として、大雑把ではありますが、音声の書き起こしを載せておきます。


※音声の解説なんですが、リンク切れと同時にファイルを削除してしまったので、今は音声フォルダが残っていません。音声解説を復活するというリクエストがあったのですが、当時の解説は残っておらず、今から撮り直すと違う内容になりそうなので、今回は文字だけでお願いします^^;すみません。


以下書き起こし(ラフ)


早速ですが、大西麻貴さんの「二重螺旋の家」という動画です。


まず、一通り見てみて、何か気づくところはありましたか??


多分、クオリティなど気にしなければ沢山あったと思うのですが、まずは、一番分かりやすいのでは無いか?というところからいきましょうかね。


この住宅を見たとき、確かに変わった形をしていますし、普通とは違った間取りになっています。土地も少しややこしい土地ですよね。


で、新しいボリュームが、とか、斬新な間取りが、とか、各空間ごとのテクスチャが・・・とか、地域とのコミュニティがとか、そういう非常にそれっぽいけど、なんだかつかみどころの無い、表面的な発見に安易にたどり着いてしまう前にですね、何が浮き彫りになって、表面に見えやすいところにそういう特徴が現れたのかを考えてみてください。


変わった物とか、見慣れないものがそこにあるということは、必ずそれに理由があるのですが、その理由っていうのはかなり分かりにくいのです。


けど、その理由を知ることができれば、最後に表面には、一体何が浮き彫りになっているのかが、よく分かります。だから、まずは浮き彫りになる前の形を考えてみてくださいね。


デザインというものは、一見斬新な発想から創られる形のように見えてしまいます。それも確かにそうなのですが、もう少し正確に言うと、作り手が見た世界の忠実な模写の感覚に近いように思います。
つまり、目のつけどころや、その人の思想そのものが理解できると、どんなに見慣れない形であっても、どんなに斬新な形であっても、見えている世界が理解できればこの形になって当たり前だよな〜と思うものなのです。


例えば、ピカソの絵というのは、一見現実から遠く離れた独自の表現のように見えますよね。けど、あれはどちらかというとデッサンの感覚に近いと思います。


ただ、僕達には見えていない、ピカソ独自の視点で見たものをデッサンしているので、僕達には変わった表現に見えてしまうのです。


昔、どこの国だったか忘れましたが、ピカソ美術館に行ったことがあります。その当時、僕はまだ小さかったので、絵を見た印象は残っていたのですが、その絵の意味や表現については、全く理解できませんでした。


ただ、なんだか分からないものを書いているのだなぁ〜と思っていただけでした。
その後しばらくして、日本に帰国したとき、食卓に焼き魚が出てきました。それを見て、幼い僕は「あ、あんときに見た絵だ!」と思ったのです。


何かと言うと、焼きカレイです。あれって、片面に両目が付いていますよね。で、口も変なところについているのです。なんかピカソの絵っぽくないですか?


つまり、顔を横から見たとして、われわれ凡人にはその横顔1面しか見えていないのに、ピカソにはその裏側も見えていて、それを書いているのです。つまり、顔面の展開図を忠実にデッサンしているような感じなのです。


実際、少し大きくなったときに調べてみると、キュビスムという手法らしく、まさしく展開図のように立体を平面に書いているから、あのような絵になるのです。


このように、表現者が見えている世界を知るということは、その表現者と同じ視点で物を見る努力をすることです。こういう観察が、デザインにもとめられる観察だと思います。もちろん、デザインに限らず、こういう観察と言う物はとても役にたつのですけどね。


で、この話をふまえて、じゃあ大西麻貴さんの作ったこの住宅の発想の原点になるものは、一体どこにあるのか?ということを考えて見ましょう。


そのヒントなのですが、僕はこの動画の中の大西麻貴さんのドローイングにあると思います。


ドローイングは、なんだか抽象的で、概念的を表したコンセプトスケッチのように見えるのですが、あれは何に見えましたかね?


厳密に言うと平面図ではないですよね。断面図でもないです。けど、大きく大別すると平面図になるようなドローイングですよね。


しかも、あのながーーーい平面図っぽい図面は、形だけで見るなら、実際の建物のボリュームとはかなり違っています。


僕自身も、あの図面を一言で表現するための言葉が思いつかないのですが、あれは各階平面図と、その通路を全部1枚の平面図に落とし込んだ図だと思います。


つまり、各階平面図の表現のように、各階にある空間同士が分離しているわけでもなく、かといって、全てが同一空間でないような図面の表現になっています。


ということから考えると、あのドローイングからは単一の部屋と、それを繋ぐ通路の関係性と、部屋と周辺環境の関係性といった、いわゆるシークエンスが表現されているのだと思います。


敷地自体は非常に小さな敷地なのですが、恐らく小さな敷地にある細かい要素を拾いに拾った結果、大西さんの中では非常に大きくて、鮮やかで、広がりを持った、大きな敷地に見えていたはずです。


でなければ、小さな敷地の中で検討するはずだから、あんな大きなつながりを表現しようとか、そういう発想になかなかなれないのです。


で、あるひとりの人の中では非常に壮大で広く鮮やかな敷地をばっと解放して、同時にそれをぎゅっとまた敷地に収束しているように見えます。つまり、相反する2つの要素を同時に行うというアウフヘーベン的な発想があるのですね。


その大きな関係やつながりを持つ連続した空間を、あとから小さな敷地に落としこんだ結果、必然的にあの縦に長いらせん状のボリュームにいきついたのではないでしょうかね。


つまり、敷地がそもそも違って見えていて、その敷地に家を設計したから、必然的にこうなったのだと思います。


だから、別に変わったボリュームでもなければ、挑戦的なデザインでもなく、なんとなくすっきりしているというか、不自然さが少ないですよね。


そこに大西さんが見たものを、そのまま形にすると、あのらせん状のボリュームにいきついたというような、非常にいさぎ良いものだと思います。


よく、自分の作品を見直したり、学生のコンペ作品などを見てたり、雑な建築を見ていると「余計な物が多いな」と思うのです。


で、そういうものって、なんとなく不自然なのですね。違和感があるというのでしょうか。


ちょっとドキッとするのですね。


例えば、アカサカサカサカスとか、言われたら「あ?」って思いません?
キャリーパミュパミュパミュといわれたら「いや、なんかわかんないけど、1個多いよ・・・。」と思いませんかね。

こういう感じで、なんか違和感があるのです。けど、優れたデザインは、こういう違和感が少ないのですね。
もちろん、人が作るものなので、認識の違いから若干の違和感は残りますが、やっぱり違和感が少ない物は、受け入れられやすいと思います。


これはですね、実際にコンペに出すときに、最終チェックをする時に使うといいですよ。作品で伝えたいことや表現したいことよりも、違和感のほうが強い作品というものは、自己満足って判断されるので、コンペ通りにくいです。


逆に、違和感が少なければ少ないほど、通りやすくなります。だから、作品を作ったのなら、建築とかアートに関係ない友達に見せてみてください。


最初は大体「なにこれ?」という反応になります。


それは、地球に生きてる人間の本能的なものが違和感を感じ取っているからです。けど、ごく自然的な道理にのっているアイデアというのは、人間の本能レベルに自然に従っています。


だから、違和感が少なくなるのです。こういうチェックをしてみると、コンペ簡単に取れますよ。笑


とまぁ、話がそれましたが、なんでもかんでも斬新なボリュームだとか、空間の構成が新しいとか、そういう安直な評価に至る前に、是非ゆっくりと発想の原点を辿ってみてはいかかですかと思います。


以下、


この建築のこだわりや、ディテールなどについてお話していますが、音声のみとなります。


posted by makku at 23:24| Comment(2) | 参考資料 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プレゼンテーションの視点から・・・

こんにちは。

今回は、5分の無料動画から学ぶということで、別の音声で1個お話させていただいたのですが、もう一つ、


大西麻貴さんのプレゼンテーションの視点からも、何か学べるのでは無いか?


ということで、全く別の視点から今度は学んでみようかなと思います。


細かいニュアンス等を含めて音声でお話しているのですが、一応、音声が生理的に無理という方向けに、または音声では分かりにくい部分の補足として、大雑把ではありますが、音声の書き起こしを載せておきます。


ちなみに、音声による細かい解説はこちら↓


5分で出来る建築鑑賞:プレゼンテーションの視点から・・・(音声)

※クリックすると音声が再生されます。


以下書き起こし(ラフ)


いまや建築学生の一大イベント仙台デザインリーグでも、動画を使ったプレゼンが流行っていると思うので、こういうのも参考にしてみるのも良いと思いますよ。


普通は、こういう住宅のプレゼンをする時は、実際に中を歩いて撮影している人と、実際に中を歩いてはいないけど、Youtubeとかで映像を見る人の感覚というものは、かなり違います。


この場合、恐らく実際にこの建物の中を歩いた人がした体験というものが、真で、映像や画像を通したバーチャルな体験=偽になります。


基本的に、バーチャルな体験というのは、100%を実体験した人と同等ではありません。


例えば、


真の体験が1だとしたら、バーチャルの体験の最大は0.9だから、0.9に0.09、0.009といったものを足していくことで、限りなく1に近づけることは出来ます。


けど、実体験は超えられません。


だから、疑似体験が、発信者(実体験者)以上のものを体験するための要素=アート・想像・イメージのふくらみ、個性


ではないでしょうか??


たとえば1つのペンを見た人がそのペンの魅力を伝える時、100%の情報を伝えたところで、それは十分ではないのです。


しかも、発信者からの情報が発信者にとって100%でも、受け手に伝わるのは良くて30%くらいです。つまり、100%伝える努力をして、なおかつ相手に120%に想像を膨らませてもらうための働きかけが必要になってきます。


で、この動画を見ていると、その感覚の違いをしっかりと理解して、それをふまえて最大限のものを相手に伝える配慮があるというのが良く分かります。


大雑把な性格の僕とは、全然性格が違うのでしょうね・・・。


とりあえず、見れば分かると思うのですが、道路から家が見えて、そして家の中に入っていく瞬間(動画で言うと1分14秒くらい)から、突然カットが粗くて、細切れになるんですね。昔のページ数が少ないアニメーションみたいに。


通常のアニメーションの流れだと、もっと滑らかになるのでしょうが、あえてこの粗いカットにすることで、コマとコマの変わり目(シークエンスにおける空間の変わり目)の一部分を、こちらにイメージさせるための、余白を与えてくれているように思います。


多分、ずーっと入り口から屋上までなめらかな映像で撮影されていたら、空間の変わり目やつながりがとてものっぺりと伝わっていたと思います。のっぺりというか、カメラを持って撮影している人の視点(つまり、実際に中を歩いたことのある人の視点)以上にイメージが広がらないと思います。


けど、こういう映像の表現を使うことで、カメラを持って中を歩いている人以上の何かを感じえることが出来るのですね。


これは、たとえがちょっと下品かもしれませんがAV(アダルトビデオ)と、映画などの濡れ場を比較すれば良く分かると思います。


映像というのは、何分かに分けて色々な方向からカメラで撮影し、後で編集して繋ぐのですが、AVは映画などに比べて、カットが非常に少ないんですよね。少ないと言うか、1カットが長いです。(企画物AVはカットが多めですけどね。)けど、映画の濡れ場というのは、非常にカット割の数が多いです。


これは元々AVと映画の濡れ場では、表現しようとしていることが違うので当たり前なのですが・・・。


AVだと、限りなく男優(あるいは女優)と近い視点になることで、興奮・呼吸・体温や臨場感を感じたり出来るのだと思います。


AVの場合、状況を考えてもらえれば分かると思いますが、実際にその場に居て、そういう行為をしている男優さんや女優さんが感じる興奮や快感が限界で、AVを見る側の人間というのは、基本的にその男優・女優以上の快感や体験を得られないんですね。


まさに、最初の例で言うと0.9に0.09や0.009を足していくことで、限りなく1に近づけるというのが目的です。


だから、その男優に少しでも近づいてもらって、その場の雰囲気や空間・さらには快感・感情・呼吸までも、出来るだけ多く共有できるようにする必要があります。そのために、1カットが非常に長いのだと思います。


だって、カットが何回も変わったら、体験に近い感情移入がしにくいから。ずっと見てて、なんかの拍子に、パッと意識が別の方向に向いたら、興奮が途切れますよね・・・。


あんな感じです。


だから、体制を変えるときとか、場所移動する時とか、明らかにカメラワークが切り替わったほうが映像としても見やすいのに、AVって何故かシーンが切り替わらないですよね。ずっと同じ視点から撮りつづけています。


逆に、濡れ場はカットが多いので、男性側と女性側のどちらにも、なかなか感情移入しにくいと思います。当たり前ですが、シーンの一部であって、AVではないので。これは、興奮や感情移入といったものを避けて、2人の関係性や行動を俯瞰的に見せることで、ストーリーの一部を表現することを目的にしているからです。


だから、変に感情移入されたら困りますし、見て欲しいところはあくまで”ストーリー”なので、演じている人よりも、多くの視点の広がりを与えるのが先決なんですね。だからこそ、細かくて多角的なカット割りになるのだと思います。


たまたま、夜の営みをシーンとして使っているだけで、実際に見て欲しいもの、感じて欲しいものは、他にあるのが濡れ場です。


だから、AVと濡れ場は、撮影方法もカットの数も全く違います。もちろん映像を見て受ける印象も違いますしね。


AVは一体となって体験するもの、濡れ場は1つの出来事に対して視点を増やして相手に色々気づいてもらってイメージを膨らませてもらうものです。


で、今回の大西麻貴さんの動画は、この後者の“濡れ場”の表現に近いと思います。


わざとカット割を増やすことで、相手にイメージを膨らませてもらうことで、よりこの建築に対するイメージの広がりを持ってもらおうとするプレゼンになっていると思います。


posted by makku at 23:16| Comment(0) | 参考資料 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月04日

間違えると残念な、デザイン専門用語

こんにちは。


普通では聞きなれないデザイン用語。


でも、仙台デザインリーグとかの審査員とか、建築家とか呼ばれている(自称も含む)人たちは、みーんな使っている・・・。


だから自分も・・・


「今日の君は、なんだかサイケデリック(psychedelic)だね」
「君がチョコレートをくれるなんて、シュルレアリスム(Surréalisme)的すぎるよ!」
「おいおい、そんなアナモルフォーシス(Anamorphosis)な言い方はやめろよぉ〜」
「あのデジモンって、ちょっとジャギー(Jaggy)すぎるよねー」



こんな風にサラっと使えたら・・・


俺はもう女の子に(女性の方なら男の子に)モテるしかない!


そう思って専門用語を使い始めてみたけど、なんだかすぐに忘れてしまう・・・。


しかも、勇気を出して


「こ・・・こんな所にト・・・トロンプかよぉ〜。」


と言ってみたは良いものの、


「え?建築のほう?それとも、絵画のほう?」


と、相手が自分以上に詳しく、不幸にも詳細を聞き返してきたときを恐れ、結局は使えない。


そして、大学の長期休みになって実家に帰った時に、地元のアホなギャルに対して、ここぞとばかりに


「この公園は、シークエンスがいいよね!」


と言ってみたはいいものの、


「え!?チョー可愛<Tょレヽωτ〃すけ`⊂〃!!」
(訳:え!?チョーカワイクないんですけど!!)

って、言われて


「え!?かわいくなかったの!?」


とあたふたし、我に返ればいつの間にか目の前のギャルが「そういやこの前、目の前に飛んできたアブラゼミがチョーキモかった」というすっごい興味の無い話をすごい勢いでしゃべっている・・・。


もう心が折れそうだ・・・。


こうなったら、かあちゃんに使ってやろう!


よし、母ちゃんがいたぞ!今だ!!!とばかりに


「この家のディテールは、まぁまぁだよね〜」


と言うと、


「そんなんええから、はよご飯食べ!いらんのやったら、片付けるで!」


と言われて急いで


「ごめんよかあちゃん、ご飯食べるから・・・。」


と、弱気になってしまう。もはや、八方塞で、どうしようもない。


「自分は、専門用語を、使えないのか・・・?」


と落ち込んでしまう。


そして、長い年月をかけて、やっと「学生団体」という素晴らしいアーティストの卵集団に出会い、そこで思いっきり専門用語の言い合いを繰り広げるが、ふっと気づけばお互い言葉を覚えてるだけなので、なんだか会話になってた気がしない・・・。


そんな経験を持つ学生達は少なくないと思います。


そこで、今回は数は2個と非常に少ないですが、明日からでも使える専門用語ということで、専門用語が一体どういった使われ方をしているのか、いくつか例を挙げながら、解説していきたいと思います。


専門用語  その@


インスタレーション(Installation)


Wikipediaの引用を用いると


「ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術」


とあります。


これだけを一読してみると、「俺は斬新人間だから、何も無いただの壁に、石を貼り付けてみた」みたいな、「誰かによって自由に作り上げられた空間」を


”これは、まさにインスタレーションだ・・・!”


と勘違いされて、なんだかインスタレーションという単語があやふやに解釈されているように思えますが、そんな自由な空間の創作は、別にインスタレーションではないと思います。


じゃあ、いつも見かける、その自由に作られた空間ってのは、一体何なの?


と、疑問がわいてくるところで、実際僕も何だかよく分からないのですが、僕なりに、ない知恵振り絞って、一生懸命言葉であらわしてみると、


”芸術家になりたかった人の、独りよがりなただの勘違いによって生まれた場所”です。


インスタレーションという単語を聞く機会は、ここ最近でなんとなく増えてきて、影響力があるはずの人までもが、美術館で「ただ飾り付けただけの部屋」に「難しい説明文を付け加えただけの個展」を開いたりしてしまうため、目の前のなんだか分からない動物に無条件で付いていってしまうような生まれたての鳥のような性質を持った学生達には


「あの人がやってるから、これが本物のインスタレーションなんだ!」


と、伝わってしまっているように思います。


しかし、インスタレーションの本質は、一室に対して装飾を施すとか、変なオブジェを舞台に置いてみるとか、映像と音を使って空間を飾りつけてみた、といった、


「表面を自分なりにデコレーションしてみました」


的なものではありません。


引用元にもありますが”インスタレーション”は、”インストール”のイメージで用いられるものです。


つまり、自らの思考を無理やり鑑賞者に押し付けるというものではなく、鑑賞者が自然と「発信者の価値観」を、人間が生理現象の呼吸を通して、体に酸素を取り込むようなくらい自然に


”すぅ〜〜っ”


と、吸収してしまうようなイメージで使われる物です。



呼吸以外の例で言うと、言語の習得のようなイメージです。


赤ん坊が最初に修得する言語が英語であれば英語がインストールされたということ。日本語であれば、日本語がインストールされたということ。というように初期のインストールにより、今後の思考が英語で行われるか、日本語で行われるのかが決まってくるため、物事の記憶や認識というよりは、物事の記憶や認識に至る以前の、非常に純粋で繊細なものです。


今のインスタレーションは、なんとなく日本語を習得している人間に対して、むりやり英語の習得を強要するような雑なイメージで使われているように思います。


が、そんなのは、厳密にはインストールではいということをしっかりと理解しておいてください。


インスタレーションがインストールのイメージを持って使われているということくらいは知っている


というプロ(らしい)人たちでさえも、どうしても自分の価値観を、目の前にある舞台であるとか、与えられた広場であるといった”創作する場所”という対象の空間にインストールすることに全神経を集中させているように思います。


しかし、本来のインスタレーションのイメージは、自分の思考を、”創作を施した場所または物”を通して、鑑賞者にインストールするというものです。


一つ、イメージとして、大人気のジブリ映画「千と千尋の神隠し」のワンシーンを例としてあげてみます。


映画の前半部分なのですが、主人公の千尋の親達が豚になってしまい、千尋は異国の地で、自分が次に何をしたらいいのか、迷ってしまいます。


そこに、ハクという異国の住人が現れて、千尋に次にやるべきことを教えてくれます。


”ここでは仕事をもたない者は、「湯婆婆」という魔女に、姿を変えられてしまう。だから、千尋もこの世界で仕事を持って働くべきだ。”と。


ここで、ハクは千尋に仕事を紹介しようと、”かまじい”という人物に会うことを進めます。しかし、千尋は異国に来たばかりだから、異国の地理もわからなければ”かまじい”という人物も全く知りませんし、いま自分がどこに居るのかも分かりません。


そこで、ハクは千尋に”かまじい”が居る場所を、魔法を使って伝えます。


実際に映画を見てもらえれば分かりますが、ハクが千尋に”かまじい”の居場所を伝える時、ハクは魔法のような力を使って、千尋の頭の中に”かまじいの居場所への行きかた”を映像で写します。


こんな感じのイメージです。


ただ、ファンタジーではない現実世界にいる僕達普通の人間は、ハク様とは違って、魔法を使うことが出来ないので、相手の頭の中に自分のイメージをそのまま映像として見せることができません。


そこで考えられた手法がインスタレーションです。


だから、あれだけの規模の空間や、その空間に色々な物を配置して、相手に実際にその場に立って、呼吸をしてもらって、五感を働かせてもらって体験してもらわなければ成立しないアートなのです。


つまり、簡単に言うと


「昨日カレー食ってうまかった」


という、「昨日カレーを食った瞬間に感じた自分のイメージ」を空間として作り出し、相手に全く同じような体験をしてもらうことが、インスタレーションの目的です。


カレー食ってうまかったという感覚は、どんな言葉を使っても5%ほど、どんな図を使っても5%ほど・・・だから、この複合体の空間を作り出して、相手に五感で感じてもらうのです。


決して、空間にあれやこれやと自分のイメージを「かっこいいだろ」的にデコレートしていくわけではなくて、空間を通して、


本来は作り手にしか見えない、感じられない視点や体験


を、相手と共有するということを目的に製作される空間や疑似体験
をインスタレーションと呼ぶのだというイメージで、正しく「インスタレーション」という言葉を使ってみましょう。




専門用語 そのA


オーガニック(有機的)


この言葉も、とってもよく使われるかと思いますし、建築学科にいると一度は聞く機会がある言葉かとおもいます。


簡単に言うと、なんだかよく分からない曲線的な造形や、直線が存在していない「自然界」にありそうなぐにゃぐにゃした造形の建物を見た”言葉を音としては知っているけど、その意味は全く知らないお猿さん”が良く


「オーガニック(有機的)なOOだ。」


というように使う言葉です。



個人的には、この「オーガニック」という言葉は、今の世の中でとっても都合の良い解釈をされて使われている言葉だなぁと思います。


一見適当に見えるというか、実際に適当にぐにゃぐにゃとアートっぽく作られた作品は全て


「オーガニックな空間だ」


とあらわすことが出来るようなイメージを持っている言葉だからです。



ただ、僕はいつも、今使われている「有機的」とか、「オーガニックな」とか、そういう言葉が用いられているものは、フランク・ロイド・ライトが言った「有機的建築」とは程遠いものだと思っています。


じゃあ、


「今使われているオーガニックって何なんだ??」


という風になるのですが、今オーガニックが使われている様子を見ていて、そのイメージを正確に言いなおすと、


どちらかと言うと、Organic(オーガニック)よりは、BioMorphism(バイオモーフィズム)です。


日本人の大半はマスメディアしか見れないので、どうしてもマスメディアが勘違いしてしまったら、大衆もマスメディアに引っ張られて勘違いしてしまうので、こういうことが多発するのですが、とりあえずイメージがわきにくければ、実際に世界ではどう使われているのか、ネットで検索すれば分かると思います。


この2つの言葉は、意味としては非常に似ているのですが、


OrganicでGoogleの画像検索をすると、恐らく僕達が知ってる建築で使われているイメージとは全く違った画像が出てくると思います。


実際にOrganicで検索して出てくる画面がこれです。

777.jpg

物知り博士風の人たちがイメージしている「オーガニック」とは、程遠いのではないでしょうか。


続いて、BioMorphismで検索して出てくる画像がこれです。

665.jpg

今巷で使われている「オーガニックな造形」とかっていうのは、どちらかと言うとこちらに近いイメージではないでしょうか。


より自然に近く、より独自性を・・・という曲線を多用したアールヌーヴォーと、曲線を多用して、自然に近づけてはいるが、どちらかというと幾何学的にというか、工業的にっていうアールデコ的な、似て非なるものというイメージがあるのですが、このイメージをそのまま使うと


バイオモーフィズムはアールヌーヴォー


で、


オーガニックはアールデコ


といった感じです。


実際、ライトの設計した建築郡は、今使われている「オーガニック」とはイメージが違っていて、多様な直線の組み合わせであるとか、曲線であっても、幾何学的な円の一部であったりします。


もちろん、曲線は微分していけば直線になりますし、最終的には点になってしまうので、一般的な定義が難しく、どうもうまくお話は出来ないので感覚的になってはしまいますが、


自然造形の人工化というプロセスがオーガニック=アールデコ


人工造形の自然化がバイオモーフィズム=アールヌーヴォー


というようなイメージで使われているように思います。


僕のイメージですけどね。


つまり、一見同じようなものなのですが、その入り口の部分が違いますので、結果できるものも、見る人が見れば大きく違うものになっているのです。


最初は慣れないかもしれませんが、少しずつ意識してみると、だんだん分かってくると思います。


ただ、なんでもかんでもそれっぽい物をすべて


「オーガニックだ!」


と、バカの一つ覚えみたいに言い切ってしまう前に、本来はどういう物を抽象している言葉なのかという物を、しっかりと理解して使ってみてください。


同じようなジャンルに見える造形であっても、自分が言葉の使い方の違いを知っているだけで、理解の幅も広がると思います。


自分が感じる・理解するぶんには、どんな言葉であっても大丈夫ですが、相手を理解する・伝える場面においては些細な誤解が不幸を招くので、むやみに連呼する前にちょっと頭使って考えてみてください。


それでは、長文お疲れ様でした。


※追記:オーガニックとバイオモーフィズムについて


別に英語が出来る出来ないに関わらず、海外洋書の古書等をしっかりと読むと意外とこういうことに触れている記事みたいなものがあります。


日本語に翻訳されて日本で出版された途端、内容が浅はかになってしまうのは仕方が無いことですが、古書であっても、グラフィックのイメージを多様してくれているようなものもありますので、チラ見くらいはしてみると、案外勉強になるかと思います。


参考までに、家にある古書のスキャンを載せておきます。


どちらも、洋書で絶版になっているものなので2万円と5万円と、「あほなのか」というような値段がする本なのですが、


まずarchitectural competition(確か2万くらいします。)


という本のオペラハウスのスクラップです。この感じは、どちらかと言うとオーガニックですね。

11.jpg

続いて、Written in Water(5万くらいかな。数めっちゃ少ないですが、アマゾンにもあったと思います。)


という本の、Steven Hollのエスキスの原画のコピーなんですが、この感じはどちらかと言うとバイオモーフィズムですね。

33.jpg


意外と面白いので、暇があれば読んでみると色々と参考になるかと思います。


ちなみに、学生はお金もないし、暇も無いみたいな言い訳を聞く前に言っておきますが、僕がこれを買ったのは学部4年生の頃です。


※参考文献Steven Holl





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