建築学科攻略サイト

凡人が建築学科をスムーズにクリアしようと試みるために作ったサイトです。「攻略したぞ!」という過去形ではなく、「攻略できるかな?」というニュアンスです。
正確には、建築学科(を)攻略(したい人の)サイトです。
自分が建築学科出身で、今いろいろと仕事をしている中で、実際の現場を見て思ったこと、感じたことなどを、建築学生時代の経験に絡めて書いております。
よろしくお願いいたします。
 

カテゴリー:建築業界


2018年03月08日

そのスープ、そろそろ個体になって食えなくなるんじゃないの?



こんにちは。



最近、質問箱とかTwitterとかばかりやっていて、さらに遊びでインスタも始めたので、その時々にその都度思ったことを書いたりしているのですが、いかんせんそれが楽(らく)すぎまして・・・



永遠にブログ記事を更新することを忘れてしまいそうですので、ここで一旦、最近の出来事についてちゃんとした記事を書いておこうと思います。



この時期になると毎年毎年、僕のTwitterのTLは卒業設計展の話題で溢れかえっています。



そろそろ、



「もっと現実の社会はこう変わっていくだろう」とか、

「VRのこんな良いアプリが出たよ!」とか、

「こんな面白いもの(サービス)が出来ていたよ!」とか・・・。



そういうところで盛り上がってほしいのですが、そういうのはごくごく一部の人の中でしか盛り上がっていないみたいで、多くは卒業設計展がらみの話題でいっぱいです。



それはそれでいいんですが、それこそ、お客さんがずっとずっといないラーメン屋さんが、継ぎ足し継ぎ足し秘伝のスープを煮込み続けていて、



「それ、そろそろ個体になって食えなくなるんじゃねぇの?」



っていう状況になっているような気もします。



界隈では、まだまだ煮込む、さらにつぎ足す・・・あと10年、あと20年・・・



一旦、そのスープ、ほんとにうまいかどうか、お客さんに食べてもらうか、新しいスープを作るとか、ほかの料理から新しいレシピを学ぶとか、色々していかないと、どんどん濃縮されて寸胴と一緒に岩みたいな塊になるんじゃないのか?



って思っちゃうので、感性の豊かな人はいったんそういう界隈を外野から見つめなおしてみると良いですね。



これからゆっくり若い学生も巻き込みながら継ぎ足し継ぎ足しスープを煮込み続け、20年後くらいにお客さんに



「どうぞ!召し上がれ」



ってスープが固まってできた岩提供して



「いや、こんなの食えねぇよ!」



って言われて、



「え!?食えねぇの!?これスープだよ!食えるよ」

「いや、食えないよ!」

「なんだと!この分からず屋!」




ってなるのが一番やばいですし、「邪悪」ではないんですけど、こういう努力に時間と労力を全力でつぎ込む行為は相当な博打だと思っていて、それを知識人っぽい人たちが先陣切って判断力の鈍い若い世代に推奨していくのはもはや罪ですよ。。。

※ほんとは、こっちに書いてたけどややこしくて分けた記事

■ 僕から見た建築界隈を、ちょっと誇張して書いていてみました。

こちらも参考に・・・


なんとなく、最近はSNSも巻き込んで、いろいろと議論されているように見えますので、建築界隈のわりと外側にいる人も参加してきて、「卒業設計を競いあう」っていうことに疑問を持つ人が増えてきたり、「それって違うんじゃね?」みたいな意見が出てきたりするのですが、今出ているこういう議論にもざっくり二種類あって、片方は「それ自体の存在意義を問う」もので、もう片方は「それが存在する前提で、その内容に対してどうこう」という議論だと思います。



で、この二つをきっちり見分けることが出来ない人が多いような気がします。



これが原因で議論がごっちゃになって複雑に見えている人も沢山いると思いますが、後者の



「それが存在する前提で、その内容に対してどうこう」



議論は結局今までと同じようにスープを濃縮する議論を続ける行為ですから、僕はあまり価値のある議論ではないと考えています。



けど、こっちのほうが盛り上がっている・・・。



なんだこのラーメン岩石化計画魂・・・



それこそ、僕は学生のころから



「それ自体の存在意義を問う」



っていうスタンスを今まで一貫していますので、相変わらずこの内戦状態が続いている状況を外野から見ているのですが、毎年よくわからない方向に向かってちょっとずつしか進んでいかない議論に対して、いつまでこの無意味な議論が続くのかなぁと感じています。



「2日後はどう」とか「3か月後はどう」とか「来年はこうするべきだよね」とか・・・



目先のことも大事ですが、いったんそれよりももっと先に焦点をあてて、そこから今の状況にさかのぼってくることが大切ではないでしょうか。



目先のことを積み重ねていって自然にたどり着く未来と、いったんゴールを決めて、仮のゴールを見たうえで、そこから逆算してきた状態でまたスタート地点から目先を見て地道に前に進むのと、進み方、進むスピードはそこまで大きく変わらないんだけど、たどり着くゴールが違いますからね。



明日のスープはより濃厚に。明後日のスープはもっと濃厚に・・・



・・・



そもそもスープの濃厚さを追求する意味は・・・?

そもそも市場は濃厚スープを欲しているの・・・?



そこが抜けてたらどうにもならないよ・・・。



色んな議論を重ねることは大事なことだし、やったほうが良いと思うんですけど、何か自分の軸をもって議論に参加したほうが良いと思いますよ。



じゃないと、今界隈がどういうテーマでどういう軸とどういう軸を持った人たちが議論しているかも分からなくなって、結果「そこに参加だけしているけど宙に浮いている。」みたいな状況になりますので。



審査方法とか、これは本当に1位なのか?とか・・・



どうでも良くないですか。



1位は1位だよ。結果1位なんだから・・・。



多分、目先のことしか見えてない人、何の軸も持っていない人にとっては



「この作品が社会的・建築界隈的に良い作品かどうか?」



の議論をしているっていう目線で議論が展開されていると思っているんだろうから、色々と順位付けとか審査方法にケチつけたくなるんだろうけど、僕の目には



「外的要因で多少確率を操作できる(←ここ重要)サイコロを転がして出た目の作品が1位だった」



っていう風に見えているんです。だから確率論的に出てきた1位は1位で良いんですよ。



こういうこと書いたり言ったりすると、その都度



「いやそうじゃないでしょ!」



っていう反論を受けるんですけど、それはその瞬間とか、直近1年とか、そういう極端に短いスパンでしか見えていないからそういう疑問が生まれてくるわけで、もう少し長い目で見るとたぶん僕が言っていることも理解できるんだろうなぁと思います。



僕が学生のころは今よりももっと「コンペの存在意義に対する疑問」を持っている人が少なくて、それこそコンペで賞取った作品=いい作品、未来の建築にインパクトを与える作品、っていう扱いを大多数から受けていたように思います。



僕は「なんのためにコンペやっているの?」って聞かれて、いつも「バイトするより金になるから」って答えて一定数の反論・反発を受けていたのですが、当時から現代の「アイデアコンペの“賞”って意味あるの?」っていう雰囲気に、収束していくこと、もっと先に「”アイデアコンペの賞”の価値がどんどんなくなっていく」ことが、当時からなんとなく想像できていたので、その考えは一貫して変わっていないのです。



そして、このアイデアは1位にふさわしいか?この案に社会性はあるのか・・・・?



そんな無意味な事考えている暇があったらもっと世の中の事勉強したほうが良いと思いますよ。



僕は昔を生きている人間では無いから、昔の詳しい事情は本とか歴史でしか知らないけど、コンペのシステムって昔出来た当初の時代性と、今の時代とっコンペの関係性って全然違ってて、賞金以外の意味はリアルに無いと思いますよ。



世の中の事っていうと抽象的すぎますので、もう少し幅を狭めてみると・・・



前にも何回か書いたことありますが、今の少なくとも日本では、建築=経済発展の象徴っていうわけでも無いですから。



個人もパブリックも潤沢なお金があって、広大な土地があって



「よっしゃ!ばんばん建物建てて開発していくぜこのやろう!」

「より良いものをよりクオリティ高く作っていこうぜ馬鹿野郎!」



っていう状況では無さそうでしょ?



「ガンガン行こうぜ!」っていう時代だったら、設計の部分だけ特価して学んでいたらなんとなくおこぼれで仕事のチャンス来たかもしれませんけど、今なんておこぼれで仕事来ないと思いますよ。



おこぼれみたいな仕事も取っていかないとやっていけない会社沢山ありますし。(赤字出ても内部留保でカバーできちゃう会社がそういう仕事するから余計隠れてるのが現状だと思いますよ)



そうなると、「良いアイデア」は一旦置いといて・・・



建設・建築業での資金調達・土地仕入れ・宅地造成・法律の知識があったほうが良いですし、世の中の現状も理解していた方が良いわけです。



僕もたまに建物の仕事しますが、僕は優秀な設計士でもデザイナーなわけでもなくて、ただそのへんの建築士・建築家よりも不動産情報や地域制・資金繰り・税金・法律に詳しいから、「建物(空間)つくろうぜ!」っていう環境を0から作れるからです。



もっと範囲を狭めて個人住宅の話とかすると、例えば



「自分がいくら資金調達できるか分からない。土地もあるかどうか分からない。地域性も分からない。税金関係の知識も無い」



っていう人に



「住むことについて根本から考えた全く新しい住宅を一緒に作っていきましょう!」



なんて言っても、



「いやぁ・・・。不安だし、分からないし、それどころじゃないからねぇ・・・」



ってなるわけです。
※つうか自分を作り手では無く生活者に置き換えたら普通にこういう状況になりません?



「いや、今回の住宅は今までの住宅の概念を根本から覆す云々かんぬん・・・」



とか、どんだけ語っても、どんなに素晴らしいデザイン能力を持っていても、建築に対する知識があっても、仕事につながらない。



だって“環境”が無いから。



※「いや、デザインが良ければ仕事に繋がるんだ!」って言い張るなら、自分で家建てたら?うまい事やったら5000万くらい100%自己出資でも100%回収できる+今後につながるって事だから。



昔みたいに国や地域がお母さんみたいに「は〜い、ここですきなものをつくりましょ〜ね〜」って環境を与えてくれている時代では無いですよ。



逆に、



「自分がいくら資金調達できるか分からない。土地もあるかどうか分からない。地域性も分からない。税金関係の知識も無い」



っていう人に



「あなたこれだけの資金調達が出来て、この枠内であれば親族からの資金援助が受けられて、こういう申告すると税金が還付されて、補助金も受けられて、ここのエリアだとここの自治体が子育てに対する補助が厚くて、このエリアの中ではこういう土地が良くて」



って、場所・金・生活を全て提案出来れば、あとはその場所の制限と予算の縛りの範囲内であれば何作っても良いっていう環境を生み出せますので、そこで自由に創作をすればいいと思います。
※簡単ですからね。20代前半の頃の僕でも資金繰り出来たわけですから、難しいわけがない。



とりあえず、こういう全体最適の時代に、極端なデザインの部分最適ばかり勉強して、「あれがいい」「これが良い」とか順位付けて、それに一喜一憂して、部分最適の中で「これは社会と接点ありそう」「無さそう」って・・・



いい加減、「環境がある前提」でばかり話をせずに、ちゃんと接点持つことを考えたらいいのに・・・。



また「がんがん行こうぜ!」っていう時代が来たらそれは大変喜ばしいことですけど、「そうに違いない」とか「昔みたいに環境がある」っていう前提で色んな議論を展開しても仕方がないと思います。



だから、前ツイッターにも書きましたが



コンペ出すなら出して、その賞金で本買って、知らない講義うけて、勉強深めて道具揃えてプロモーションして、いろんなとこ行って色んなもの食って、感性ひろげてまた創作したらいいんじゃないの?



普通にそういうことが出来ない、ある種すげぇ順位とかに拘る人が、多分こういうときにわけわからん議論始めるんだと思いますよ。



そういう人達で集まって、仲良くスープを個体にしていくのもロマンがありますが、せっかく未来があるわけですから、もう少し外側に目を向けて、



全体を最適化するにはどうしたらいいか?



を、考えてみると良いと思います。





posted by まっく at 15:23| Comment(0) | 建築業界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月19日

後輩からの電話

こんにちは。



最近は暑くて頭がボケて来る頃かと思います。



僕は昨日、とある会社の経営者とご飯を食べていました。
奢りと言うこともあり、ずっとお酒を飲み続けて、良い気持ちで家に帰りました。



家に帰ってから、自宅の映画室で映画でも見ようと思い、普段PCに繋いでいる外付けHDDを映画室に持ってきて、Blue-layデッキに繋ぎました。



さて、何を見ようかな・・・?



と、Blue-layデッキをしばらく操作していたところ、突然画面に警告画面のようなものが出てきました。そして、何も考えずに、「OK」ボタンを押すと・・・



あれまぁ・・・



外付けHDDが初期化されてしまいました。|д゚)



もうね、暑さとお酒で頭ボケてるしテンション高いし、防音室ということもあり、大絶叫しましたね。



HDDの中には、よくお世話になっているDMMやらなんやらで40〜50万円くらいつぎ込んだAVの大群や、大学生のころから何度も何度も繰り返して見て勉強していた講演会やセミナー動画・音声教材等、これも多分100万くらいかかってると思うのですが、とにかく、大事なデータが死ぬほど入っています。



普段僕はほとんど写真を撮らないのですが、その数少ない写真も消えました。

デザインコンペのデータ・3Dモデリングデータ・高校と大学の資料等も全て消えました。

ちなみに、この「建築学科攻略サイト」のバックアップデータ・HTML等のコピー、記事のバックナンバー等も全部入っていました。



そして全部消えちゃいました。・・・笑



急いで、HDD復元ソフトを購入し、今は復旧の真っ最中です。
果たして復元するのかどうか微妙ですが・・・。



まぁ、復旧しなかったらしなかったで、これは天が僕に



「断捨離の時期なんだよ〜、もう一度リセットして、新しいことを始めなよ〜」



と、伝えようとしているんだぁ〜ってあきらめようと思います。



なんとなく悲しいですが、やってしまったものはしかたが無いので。



さみなさんも暑さと酔いによる頭のボケには十分注意してください。莫大な時間をかけたものが一瞬にしてぶっ飛ぶ危険がありますので・・・。



まぁそんなこんなで、機嫌よく楽しく毎日を送っているのですが、ボケ防止も兼ねまして、先日、古い後輩と電話でお話することがあり、その時に感じたことを、今の建築界隈に絡めて少し記事でも書こうかなぁと思います。



記事を書く前に簡単に状況を説明しておくと・・・



僕は建築学科の意匠系研究室を出て、構造系の大学院に行き、今は不動産業界で仕事をしています。
で、後輩の彼は、建築学科の意匠系研究室で大学院まで行き、今はアトリエで働いています。



で、彼との電話の中で



「仕事って取ったもん勝ちですよね〜。どんなに良い技術があっても、どんなに良い作品を作れても、どんなに一生懸命考えて勉強をしても、現実の現場では、まず仕事が取れないと何にもならない。逆に、仕事が取れさえすれば、極端な話、どんなにダメな作品でも、どんなに良い作品でも作ることが出来るし、それで生活が成り立つから、次の仕事も探せるんですよね〜」



と言っていました。



これは、僕も学生のころから実感しており、今も強く実感していることです。



学生の頃、僕は紙面・フライヤー・ポスター等のデザインをしていた時期がありました。
その時、僕は何の資格も持っていないですし、何の実績も無かったですし、何か特に人よりも優れていたとも思いません。



ただ、友人の知り合いが社長をやっており、



社長「今うちの会社のポスターとか広告を考えてるんだけど、どんなのが良いかな?」
友人「どうかな〜。あ、そういえば絵がうまい友達がいるけど〜」
社長「え、それならうちのポスター書いてくれって頼んでくれる?」
友人「良いよ〜」



という具合で、何故か僕が紹介されたわけです。



で、何枚かサンプルを送ると



「良いんじゃね?」



ってなって、何故か仕事になっちゃったわけです。
その時、僕は学生でしたが、月収で30万か40万くらいあったと思います。



バイトせずに人から米とかもらって、カップ麺で生活してた僕からしたらびっくりするくらい有難いお話です。



大手広告代理店とか、広告専門業者的な人達がすごい技術でデザインして、すごい斬新なアイデアを競って仕事をしている中で、僕みたいな大学生の素人でも仕事が出来るわけです。



多分、大手広告代理店と、僕が作った紙面を比較すると、大手広告代理店のほうがよっぽどかマシでカッコいいものを作るはずです。



けど、仕事を出す側の社長は、偶然にも僕に仕事を振っていたので、広告代理店はその社長から仕事をもらえず、結局のところ、その社長に素晴らしい技術やデザインを提供することが出来なかったのです。



それはそれで、なんだか悲しいですよね。



プロとして技術を磨いてきたのに、素人に仕事取られるわけですから。



それでも飯が食える大きい会社ならこんな小さい仕事なんてどうでもいいかもしれませんが、小さい規模のデザイン会社だと、こういう1件で飯食えるか食えないかの世界でしから、そりゃもう大事ですよ。



で、建築業界は今、仕事があふれている人と、そうでない人の2極状態で、一方は仕事が沢山あって、一方は全く仕事が無い状態だと思います。



建築業界というものは、市場規模が大きいし、飽和しているように見える日本ですら、まだまだ沢山の仕事があります。



けど、かつて新建築や住宅特集に掲載されていた実績を持つアトリエでも、全然仕事が無くて、新しい敷地に建つ何の知識も無い住宅の営業マンが設計したハウスメーカーが作る規格住宅を見て



「この敷地には、もっと合うヴォリュームがあって、もっと豊かな要素があって・・・、敷地のポテンシャルが云々かんぬん・・・ハードとソフトが云々かんぬん・・・」



と、こうすれば、ああすればよかったと愚痴を言い、それを大学の教壇で生徒達に話して小銭をもらうという生活を送っているわけです。



その一方で、その規格住宅でとても豊かな生活を送れるクライアントが居て、建築なんて何も知らない営業マンがお客さんに感謝され、また紹介をもらって家を建てているんです。



そこに疑問を抱いた後輩が、僕に連絡をしてきたということです。



この感覚って、建築界隈とか、特にアトリエなんかに居ると、崇高な建築が否定されて、工業製品的な建築がバンバン建っていく現実に対する怒りとか、嫉妬でなかなか気づかないと思うし、ほとんどの人は



「クライアントは分かっていない!」
「クライアントの質は下がっている!」




とか言ってしまう人なので、そうならずに純粋に疑問を感じたその後輩はなかなか優秀だなぁと思ったのですが、今は本当にこんな時代だと思います。



この前、Twitterで頭の悪そうな人達に絡まれてとひと悶着あったのですが、国立競技場のことだって一緒です。

※国立競技場については、ある程度言いたいことは描いているし、また頭悪そうな人に絡まれるのも面倒くさいので、もう書く気無いので、なんのことかわからない人は僕の過去の記事なりツイートを読んで頂ければと思います。



デザインというのは、言葉から生まれてくることもありますし、現実から大きくかい離したところに崇高さがあったりしますし、現実との接点が無くても人の意識の中で成り立っていたりします。



けど、僕は美しいデザインというのは、ありえないくらい抽象的で、見えにくいもので、実態が無さそうに見えるものを、現実世界の物体や物、味とか空気とか匂いとか、そういう誰にでも感じることの出来る要素を使って“表現できた”ものだと思います。



決して



“表現したかった(けど表現できなかった)”



ものでは無いです。(僕の持論ですけどね。)



デザイナーの力と言うのは、あまりにも自由すぎて拘束力のない物を、強い力をもって、現実世界という小さいハコに押しこんだり、自分の思い描く形に変えたり、そういう力だと思います。



それ以外は妄想と自己満足の世界の中に存在していればいいと思うんですよね。



結局、ザハのアイデアが実現しませんでした。
で、ザハの案とは程遠いダサい建築物が建ちました〜



ってなった時、僕はザハの案よりも実際に建った案のほうが崇高なものだし、日本という国の中ではうまくできたデザインなんだと思います。



サスティナビリティが・・・
とか、開閉式屋根で出来るイベントの幅が広がり、それで日本経済を・・・



とか、そんなの関係ないです。



第一、そこにそれだけの自信があって、100%に近い確率でそれを言いきれるなら、高配当でファンドを配れば、頭のいい投資家は必ず買うので、資金問題なんて出てきません。



ハウスメーカーの規格住宅と建築家の住宅を比べる気も無いですが、実際に存在していて、人が住んでいる家と、建築家が模型で表現したカッコいい住宅があれば、実際に住宅としてクライアントを喜ばせているのはハウスメーカーの規格住宅だと思います。



で、なんやかんやでそういう話を長々とした後に、後輩は続けて



「ハウスメーカーの営業力が欲しいですね〜。結局、仕事を取れれば後は”良いと思う物を作るか作らないか”の主導権は自分にあるわけですから・・・」



と言っていました。



これ、ぼくが大学の時に彼に散々言ってたんですけどね。
彼は今になって実感し始めたらしいです。笑



結局、僕が不動産業界に行ったのは、何年か前からリノベーションが主流になったっぽく見え始めたからです。



あれを見て、



「古い物を再生して新しい価値を生み出す」
「これからはストック活用の時代だ」



とかアホなことを言ってる人が沢山いましたが、僕はあれは結局日本が「立体的な更地」に近くなっただけだと思います。
日本の土地の法律はややこしいですし、利用方法も制限されます。



少し前に震災があった時、建築家たちが復興案を持って現地を回っているのをテレビで見ました。



全く的外れな復興案だなぁ・・・



と、あきれた記憶があります。



だって、ベースの法律が違うんですから。
区画整理をベースにしている行政に対して、そもそも成り立たない復興案を持っていっても、前提が違うでしょう・・・と



卒業設計のイベントとかで配布される「建築家の復興案」的な本を手にして



これは素晴らしい!



と感嘆している大学生を見て、



あ〜馬鹿なんじゃないのかなぁ・・・と思った記憶があります。



そういう疑問が沢山あって、色々考えた結果、僕はどちらかというと僕はこれからの日本は特に新築(に近いもの)の時代だと思うようになりました。



けど、建築の技術ばかり追ってきた建築教育の人たちは、場所とか土地を見つけることが出来なかったんだと思います。



だから、優秀な建築家は移民の如く海外へ行って新しい場所に建物を立てています。



リノベーションの波に乗っているようで、ちゃんと頭使って考えている人は、リノベーションっていう名前を使っていますが、どちらかというと細かく見れば新築に近い事業をやっています。



で、その前提にある不動産業で、販売のノウハウも得られるし、現場も見れるし、お客さんと直に話が出来るということで、僕は不動産業に行きました。



不動産業に入れば分かりますが、このクソ儲かっていない建築家たちが思っている以上に、建築の仕事になりそうな要素なんて日本にはまだまだ山ほどあります。



地面を世話すれば、建物が必要な場合が多いです。
その建物は、土地とか地面に詳しければ詳しいほど有利になりますので、ついでに設計の仕事も出来ます。
建築雑誌にとかTwitterのプロフに、ななめ上を向いて横から撮影した写真を載せて、輝かしい(風の)経歴を載せて、カッコいい建物と模型のプロジェクト写真を載せてPRしなくても、



A:「住むところが必要なんで、土地欲しいんですけど〜」
B:「そうですか、じゃあここなんてどうですか?」
A:「じゃあ、ここでお願いします」
B:「ここだとこんな感じの家建てるとよさそうですが、どうですか?」
A:「いいですね、じゃあお願いします。」



これだけで、設計の仕事が取れます。



僕は建築士の資格持っていないですし、必要だとも思ってないので、基本設計をしたら、あとは設計士に任せます。(ただ、実施で微妙な雰囲気になると文句を言います)



建築士持っていても仕事がとれないから、飯食うために安く働いてくれる優秀な人なんて沢山いますからね。


さて、建築学科でデザインのすばらしさを学んだ学生は、いったいどちらの立場を目指しているのでしょうか。



お客さんとダイレクトに話をし、一緒にエスキスをして設計図を書き、一緒に現地を見て建築を考えていく不動産業者





その不動産業者から渡された基本の設計図を実施図面に書き直す”作業”をする建築家。



不思議なことながら、現実を見ると不動産業者のほうが建築に近いことをやっているではあ〜りませんか。



それなので、僕は不動産業に見えて、けっこう建築に近いところにいるんだと思います。
それもこれも、今はもう昔の時代から大きく変わりつつある微妙な時代だからだと思います。



それは、こうなってほしいとか、こうしたいとか、そういう個人の願いに関係なく、社会の構造的にやってくる未来です。



毎日ルーティンの作業をこなし、時間を浪費すれば金がもらえると思っている教員免許を持っている学校教師と、教員免許は無いけど、Youtubeで質の高い授業を好きなようにやっているユーチューバーなら、どちらが本当の教育者ですか?


「これからの建築家は建てないのが斬新でカッコいい」みたいなことを言って、絵本を書いている人と、暇だから家の増築を自分でやっているその辺の定年退職したお父さん、どちらが建築をやっている人ですか?


市町村から呼ばれ、地方で誰も見に来ない個展開いて、市から補助金もらって成り立っている芸術家と、描いた絵をTwitterでアップするごとにすごいシェアされ、人の心を動かすことのできる素人だったら、どっちが本当のアーティストですか?



どっちが本質的に仕事をしているのか一度考えてみて下さい。今はこういう変な時代です。
※ちなみに、僕らみたいな平成生まれの親に聞くと、ほぼ「それは教員免許を持っている方が教師だろう」という答えが返ってきます・・・。笑
僕の親は「どっちでも良いんじゃね?」という回答でした。



今までのいろんな物が崩れたり再生したり、価値を失ったり価値が生まれたり、いろんなものがリセット(厳密に言うとリセットでは無いけど、ニュアンスが分かりやすいからリセットっていう言葉にしておきます)されています。



昔はかなり見えにくかった変化も、今は分かりやすく見えています。



ここまで簡単に見えるということは、誰にでも分かりやすいということなので、対策がしやすいということなのですが、分かりやすく見え始めたということは、変化がもう成熟してきているということです。



成熟しきると、さすがに乗り遅れた感が半端無いですし、その後対策をするというは、ライバルも多いし、なんか理解しにくいし・・・かなり大変なことです。



ただ、まだ今はそこまで難しい時期でもないかと思いますし、話をした後輩も、最近やっと色々始めたみたいですので、こういう機会に、色々と疑問を持って考えて行動してみて下さい。



それでは!



posted by まっく at 20:29| Comment(0) | 建築業界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月18日

好き嫌いとか要望とか

こんにちは、最近はどうでしょうか?



僕にとっては非常にどうでもいい(見て見ぬふりをしたいというわけでは無く、あえて今頃気に留める必要が無いという意味)、国立競技場の話題で、建築界隈が大議論をかましています。



日本も物騒になってきましたね。



そんなこんなで、こういうどうしようもない空中議論で盛り上がっているところに水をさすのもあれなのですが、こういう状況をTwitterとかで良く見かけるようになってから、僕としては



「そんなことに夢中になって意味ありそうで意味のない意見を述べている暇があれば、少しは社会勉強でもしたら?」



と、言いたくて仕方がないのです。



こんなのは、何年も前からサインが沢山あって、別に意外なことでも無く、日本の政治家がアホなわけでも無く、建築業界がダメなわけでも無く、過去の日本から、今の日本に、当たり前にこういうところに時代が流れてきただけだと思うのです。



僕みたいなゆとり世代の若僧ですら、2年ほど前にブログに書いているし・・・。



だから、建築業界に限ったことではないけど、今回の競技場の件で、あらかじめこういう世の中になることを見越して準備してきた人は、少しは楽になるというか、生きにくくなることは無いと思いますし、逆に



この件で



「信じられない!どうした日本!?」とか、「どうした建築業界!?」



みたいな感情論の意見しか出せないおバカさんたちは、ちょっと現実社会で生活するのに向いてないから、もし現実世界で生きたいという意志があるのなら、義務教育からやりなおしたほうが良いと思っているのです。



特に国語と社会ね。



今回は、たまたま僕が建築学科出身というだけで、国立競技場の話題メインみたいな感じで記事を書いていますが、別に国立競技場に限ったことでは無く、税金とか、年金とか、社会保障(福祉)とか・・・。



「一度ザハの案になったんだから、ザハでやるべきだ!」


とか


「え、増税!?家計が苦しいんだからやめてくれよ!どうなってんだよ日本!!」


とか


「年金がもらえないとは何事だ!?俺の(私の)年金を返せ!!」


と・・・。




それはあなたの好き嫌いとか、「してほしい・してほしくない」という“想い”であって、僕からすれば、



自分の感想にどれだけ期待してるんですか?



と、言いたくなるわけです。



こういう人が普段どういうメディアを通して世の中を見ているのか分からないんですが、例えばニュースで



「年金はもらえます、財源はこれからOO年持ちます(‘ω’)ノ」



と言っていても、普通に今は過去の財源を今食いつぶしている現実があって、今から期待できる財源は特に無くて、メディア向けに根拠を伝えるための公的資料の試算も、おおもとの根拠がおかしい・・・



って、こういう当たり前の現実が見えれば、



「いやぁ、そうは言っても年金もらえないよね〜」



と、自然に分かると思うんですよ。



で、年金もらえないのは残念だけど、今はとりあえず取られる分だけは強制的に徴収されてるから、帰ってこないていで今後の対策を考えよう。



ってなるわけです。



ザハに関しても、



この計画を実行し、日本の要望を満たすためには、この構造のこの予算が最も合理的で、ザハの案は間違っていない、早くザハの意図に気付けよ!



な〜んて言うのは勝手だし、間違いでも無いと思うけど、実現すべきかどうかは別問題だよねって思うのです。



じゃあ例えば、最近のニュースで都知事が



「東京都の人間から月(だっけ?)1000円の税金を徴収すると60億になるから、数年で財源を確保できる」



みたいなこと言ってたけど、当初の希望予算のだいたい1000億くらいから、1500億足りないとして、工期間に合わせて1年で財源確保しようとすると、税金を1000円じゃなくて月25,000円に上げれば、単純計算して1年で1500億集まるんですね。



それなら、月25,000円特別な税金を徴収すれば良いじゃんって思うんですけど、「ザハの案にすべき!」とか言ってるアトリエ志望者とか、学生とか、大学でアルバイトしているカッコいいデザイナーみたいな人とか、ぎりぎりの生活しているやつから月25,000円徴収すると、多分破産すると思うんですね。



ましてや、東京都とか日本で年間300,000円の増税なんかしたら、何人破産するんだろうって思うのです。



で、問題はこういうあほみたいな増税とか、財源確保の強制徴収が出た時に、



「やれ万歳!かっこいい建築万歳!」



って平気で言ってる痛い人たちが、「自分はこうしたい!」っていうただの個人的願望のためだけに、気持ちよく払えるの?



ってとこで、僕は



「文句ひとつ言わずに払う意志が無いならおとなしく目の前の仕事をしっかりしなさいよ・・・」



と思うのです。



こういう理不尽な現実が起きた時、対応できるような準備しておくってのは、僕の中では当たり前で、逆にことが起きてから



「いやだ!やりたくない!もっとこうしたい!」



と言うわがままなお子様を見ていると、



「こういう機会にぎゃーぎゃーわがままを言わずに、しっかりと期待するのをやめて、今後の人生のために準備したら?



と思います。



もうすぐ消費税増税です。値上げに関しても、嫌らしいのかしたたかなのか知りませんが、家賃とか電気とか消費税とか食べ物とか、生活必需項目ばかり値上がりしています。



で、景気が悪いとか、グローバル化の波とか、わけの分からないこじつけで、残業代が減ったり、給料が減ったり、そもそも雇用が減ったりと、準備してない人にとっては大変な未来がやってきつつあります。



こんなのは、別に社会に目を凝らしていなくても、分かりやーすく数値で見えます。



僕は大学の低学年の時にこういうのが顕著に見えていたので、ゆっくり自分のペースで準備をしてきました。



会社もそうですし、働き方もそうですし、生活の態度もそうです。



で、今のところは思った通りの結果になっていることが多いので、別になにも困っていませんし、文句も無いですし、



「あ〜、なるようになってるな〜」



って思いながら生活しています。



僕は自分の給料に全く興味が無いので、もうかなりの間給与明細とやらを見ていないのですが、こういう記事を書くにあたり、久々に明細を見てみました。



多少変動はあるのですが、総支給1,463,128円の税金やらなんやら引かれて手取り115万くらいらしいです。


例えば、



「ザハのアイデアを実現したいという要望に応え、建築学科の学生及び、建築学科出身の労働者の税金を毎月追加で20万円引き上げて徴収します」



という、昔の歴史では一揆になっていたようなとんちんかんな政策が出来たとしても、悲しい感情は置いといて、僕は払おうと思えば払えますし、1か月90万くらい手元に残るし、今1か月に僕が使う金額なんて家賃やらなんやら全部合わせて20万行くか行かないかなので、70万貯金出来るんですね。



けど、何も考えず、何も準備せず、ただ一般的な給与で生活してたような人は多分破産します。



例えば、不景気になって生活必需項目の料金が倍になり、それに10%の消費税がかかったとしても、(20万×2)×1.1=44万です。



これでも、僕は今のところ60万くらい貯金できます。



追加で、年金の財源が枯渇しているので、毎月10万の年金を追加で徴収しますってなっても、僕は今のところぜ〜んぜん困りません。



けど、準備してないような人は、一流企業(らしい)企業に勤めてて、月30万くらいの安定収入があったとしても、毎月10万くらいの赤字になります。



アトリエ系で月20万くらいだと、毎月20万くらい赤字です。



これは大げさな例ですが、こういう世の中がやってきたとき、普通に生活も出来なければ、



「建築の未来がぁ〜」


とか


「美しい建築がぁ〜」


とか


「パブリックスペースの有効活用がぁ〜」



とか言ってられないと思うんですよね。ご飯食べれるか食べれないかの世界ですから。こういう国も、日本からは見えにくいですが、世界を見渡せば現実に存在していますし。



こういうのを分かっている人が何人いるのか知りませんが、とりあえずアホな議論をしていないで、謙虚に仕事をすればいいのになぁと思います。



で、僕も現状で安心したことは無いですし、もう少し頑張って自分の出来ることをいろいろとやっていこうと思っています。



なんとなく愚痴っぽくなりましたが、僕が何年か前に考えた未来像を知りたければ過去の記事を読んでいただければと思いますし、そんなのに興味が無いけど何も分からないみたいな人は、しっかりと義務教育をやり直してください。



そして、出来る限り手を尽くして、建築業界を明るい未来にしていければいいなぁと思いました。



それでは!


posted by まっく at 23:11| Comment(0) | 建築業界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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