建築学科攻略サイト

凡人が建築学科をスムーズにクリアしようと試みるために作ったサイトです。「攻略したぞ!」という過去形ではなく、「攻略できるかな?」というニュアンスです。
正確には、建築学科(を)攻略(したい人の)サイトです。
自分が建築学科出身で、今いろいろと仕事をしている中で、実際の現場を見て思ったこと、感じたことなどを、建築学生時代の経験に絡めて書いております。
よろしくお願いいたします。
 

カテゴリー:辛口エッセイ


2018年03月07日

僕から見た建築界隈を、ちょっと誇張して書いてみた。

僕から見た建築(or学生)界隈を、ちょっと誇張して書いていてみました。



※ほんとは、こっちの記事の中に書いていたのですが、ややこしくなるので分けて記事にしました。
元記事はこっち

■ そのスープ、そろそろ個体になって食えなくなるんじゃないの?



賛否両論あるかと思いますが、僕にはなんとなくこう見えています。



本当の価値を追求するあまり、部分最適の最果てに行ってしまうと、なんとなくこういう雰囲気になってしまうような気がしますので、一旦外から見てみるのも良いと思いますよ。



それでは、本編へ・・・



外食の中でも特に人気があり、不動の地位を持つラーメン。それぞれ味・作り方が違うスープ、そして食感、麺の湯で加減等・・・。



ラーメンは奥が深い。



そんな中、時代は激化し、経済も低迷。時間と予算に追われながらもおいしくて暖かかいごはんが食べられる、



「インスタントラーメン」



の登場。



安い、早い、うまい。



インスタントラーメンは瞬く間に市場を席捲した。



そんなインスタントラーメン時代に疑問を投げかけた3体の神がいた。



ラーメンは、もっと奥深いものではないのか?お湯を注ぐだけのラーメンは、豊かな食べ物なのか・・・?



この話は、その3体の神の試行錯誤をつづった物語である。



チャー:「しかし、あれだ。最近のラーメンはインスタントばかりになったなぁ」



シュー:「そうだな。丁寧に仕込み、丁寧に仕上げるラーメンの良さをもっと多くの人に知ってほしいよな。あの奥深い味わいは、お湯を注ぐだけの手軽さに勝るものがある」



メン:「我々3体がそれぞれ、インスタントの普及に疑問を投げかけるための、ラーメンを再び考えていこうではないか。」



チャー:「うむ。まず、インスタントには手軽さがあるから、対抗するために時間を
かけてゆっくり丁寧に作っていくのはどうだ?」



メン:「それはアリだな。手がこんでる分、味に奥行とインスタントでは表現できない深みが出る」



チャー:「じゃあ、私はスープを丁寧に煮込んでみることにする。」



シュー・メン:「同意。」



チャー:「シューはどうするんだ?」



シュー:「私には、実は前々から温めていたアイデアがあって。新しいラーメンの形を再提案できないかなと思っていて。」



チャー・メン:「面白いじゃないか。ラーメンという概念を再定義するわけだな。」



シュー:「あぁ、お前らのことをびっくりさせたいから、今度試作品を作ってみるよ」



チャー・シュー:「メンはどうするの?」



メン:「私は、君たちが作った物を世に広めていくため、学校を作ろうと思っている。そこで我々が作ったラーメンを教育して、もっと良いラーメンを作ることのできる若い世代を育てたい。」



チャー・シュー:「素晴らしい!じゃあ、素晴らしいラーメンを作るためにまずはそれぞれ試作品を作っていこう」



メン:「分かった。私はチャーとシューが創作している姿をその都度見ながら、アドバイスをしながら、教育カリキュラムを組んでいくよ。」



チャー・シュー・メン:「よし!やろう!」





こうして、3体の神様はそれぞれ自分のアイデアを形にするために作業と思考に取り掛かりました。






■ チャーの場合・・・



さて、インスタントや資本主義の味に勝るために、まずは手の込んだスープを作ってみよう。仕込み時間を変えて・・・煮込み時間も変えて・・・



そういえば、作っているスープに継ぎ足し継ぎ足しスープを重ねて、濃縮しながらスープを濃くしていく手法を見た事があるぞ



よし、いったん作ってみようか・・・・



1日目、2日目・・・4日目・・・5日目・・・



おお、なかなか濃厚なスープになってきたぞ。どれどれ・・・



うん!うまいじゃないか!



よし、この調子でどんどん煮込んでいくぞ!



・・・・・



そこに、メンがやってきました。



メン「おお、すごくおいしい。いい感じじゃないか!」



チャー「そうだろ、ここからさらに煮込んで、もっとっ凝縮していこうと思ってるんだ!」



メン「よし、その調子だ!どんどん煮込んでいこう!」



そして、チャーは毎日毎日、スープを煮込んでより濃厚にしていきました。



今日より明日はもっと濃厚に。明日より明後日はもっと濃厚に。



より濃厚に・・・



そして、ついに、濃縮に濃縮を重ね、高いところから落としても割れないほどの強度を誇る岩が完成しました。



チャー・メン:「やったぞ!時間をかけて濃縮に濃縮を重ねたラーメンのスープが完成したぞ!」



・・・・・





■ シューの場合・・・




さて、ラーメンを再定義するか。



従来のラーメンは麺があって、スープがある。最近は、汁なし麺というものも出てきた。



う〜ん・・・何かいいアイデアはないものか?



そうだ!麺を細かく刻んでみよう。



なるほど、麺を刻むと、細かい穀物の粒のようになった。



あ!そうだ、これを握って塩をかけてみよう!そうすればおにぎり感覚で片手で食べられるシンプルなラーメンができる!



そこに、メンがやってきました。



メン:「やぁ、シュー調子はどうだい?」



シュー:「ああ、実は片手で食べられるラーメンを開発しているんだ!」



メン:「どれどれ・・・おお、これは斬新だ!より食べやすく、よりおいしく改良してくれ!」



シュー:「あぁ、任せとけ」



こうして、シューは来る日も来る日も、麺を刻んでは、握って塩を振ってみて、硬さや握り具合を微調整しました。



シューは途中で「おにぎりのほうがうまい」っていうことに気づいてしまったので、おにぎりよりもうまくするためにはどうしたらいいか、試行錯誤を繰り返しました。



製麺機を変えてみたり、刻んだ麺の両端を丸めて、お米に近づけてみたり・・・。



毎日たゆまぬ努力を続けていきました。



そして、ついに、本物のおにぎりに近いものが完成しました。



目をつぶって食べればほとんどおにぎりと区別がつかない。



ついに!今までになかったラーメンが完成したのです!



シュー・メン:「やったぞ!ついに本物のおにぎりと区別がつかないクオリティのラーメンが完成したぞ!」




・・・・




そして、3人は集まりました。



チャー:「私は、こんなラーメンを作った。」



チャーの手には、がちがちの岩が握られていました。



煮込み時間、手の込み具合、材料費、人件費・・・それらを加味すると、この岩ひとつに2000万円の価値がある。



シュー:「私は、こんなラーメンを作った。」



シューの手にはおにぎりと区別がつかないほど精巧に作られたラーメンが握られていました。



試行錯誤の時間、実験の時間、製麺機の導入、手間等を考えると、このラーメンには3000万円の価値がある。



そして、メンは言いました。



メン:「いやぁ、よく頑張った。こんな素晴らしいラーメンが出来た事を、私は誇りに思う。君たち二人が作っているところを記録しておいて、教育カリキュラムもできた。よし、自信をもって学校を作ろう!」



こうして、3体の神は学校を作りました。




3体の神々が、インスタント業界に立ち向かうべく、作った真のラーメンを作るための技術と思考を習得できる学校です。



そこには、沢山の生徒たちが入学してきました。



生徒A「どうやら、今までにない本物のそして新しいラーメンが学べるらしいぜ!」

生徒B「そうだな、インスタントにはもう飽きたから。楽しみだ」

生徒C「一体、どんなラーメンが作れるんだろうか・・・」



沢山の生徒がざわざわしている中、校長であるメンのあいさつが始まりました。



メン:「皆さん、おめでとうございます。今日からあなたたちにはこのラーメンを作ってもらいます!」



生徒たちの目の前に、チャーとシューが作ったラーメンがついに披露されました。



それを見た生徒たちは、声をそろえて言いました



生徒一同:「これって岩と、おにぎりじゃないんですか?」



それを聞いた3体の神は、大変驚いた表情を浮かべながら答えました



チャー・シュー・メン:「お前ら何も知らないのか?何を言っているんだ?これは合わせて5000万円の価値があるラーメンじゃないか・・・」




・・・・・




おしまい。





posted by まっく at 15:26| Comment(0) | 辛口エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月28日

提出期限ぎりぎりまで作業するって良い事?

こんにちは。



この記事は、ほんとは音声だけで話をしようと思っていたのですが、音声になると聞く人・見る人が少なくなりますので、今回は音声を書き起こした記事もアップしておこうと思います。



それでは早速・・・



■ 提出期限ぎりぎりまで作業するって良い事?






※以下、音声の書き起こしです。



この季節になると、そろそろ卒業設計とかのシーズンになってくると思うんですけど、毎年この時期になると



「寝てねぇ」



とか、



「提出間に合わねぇ」



とか、こういうたぐいのツイートやらなんやらを見かけます。



僕の学生時代は、課題ってだいたい提出日の1週間前とかに終わっていたので、こういう「ぎりぎり」って感覚には共感出来ないのですが、この気持ちがなかなか受け入れてもらえず・・・笑



多分、それは僕が言っていることが、



「一つのアイデアを泥臭く、深く洗練させるよりも、さらっと器用に作品を提出して、コンペでさっと賞を取って、それが良い」



みたいに言っていると思われているんですが、それは違うよ〜というのを今回はなしておこうかなぁと思います。



僕は課題やコンペの作品を提出期限よりも早く仕上げて、かなり余裕で提出日に提出するんですが、これは器用だとか適当にやっているわけでは無く、自分の作品の完成を他人に決められたくないからです。



提出期限ぎりぎりになって課題を提出するということは、自分の課題の「完成」の定義を外部に決められているということだと思います。



もちろん、偶然に偶然が重なって、自分が作品を「完成」と認めた瞬間と、その課題の提出期限が同じ日で、完成と同時に提出が出来ることってあると思います。



けど、そんな日がやってくる確率ってほぼ0だと僕は思います。



だから、提出期限ぎりぎりに徹夜で作品を完成させて



「あ〜、間に合った。寝てねぇ・・・」



と言ってる人のほとんどは、他人に完成を決められているんじゃないですか?



例えば、提出期限という制限が無ければ、自分が納得した瞬間、完成だと思った瞬間が自分の作品の「完成」なんですけど、提出期限のぎりぎりまで悩んで、考えて、粘って、最後「あ〜、もう出しちゃえ!」って提出するというのは、一見すると提出ぎりぎりまで作品を洗練させたように見えますが、僕は違うと思います。



それこそ、



ほんとはもっとやった方が良い



見直ししたい



もう少し訂正したい・・・



と思いながら、提出期限という外部要因によって完成を決めさせられているんです。



それってめっちゃダサいと思うんですよ。



自分でコントロールできないものをコントロールして、制御して、一定の形に仕上げるのがデザインじゃないですか?



なのに、外部に完成をコントロールされるんですよ?



はい、あなたの作品は今日この日をもって完成!
はい、提出してくださ〜い



・・・御意!




ってね。



僕はこの流れがめっちゃダサいと思うんですけど、この感覚が建築学科とか、デザイン系の人たちにとっては当たり前みたいな感覚になっていて・・・



そうじゃなくて、



自分が完成と決めた作品を、提出日に提出したくないですか??



それだったら、提出日ぎりぎりまで作業しなくても良いと思うんですよね。



同じように見えるかもしれませんが、意識とか感覚は明確に違うでしょ?



僕はいつも作品の提出期限は守りますが、提出期限は「提出」する日であって、作品が完成する日では無いと思います。



だから、提出日ぎりぎりに課題を出すことってめっちゃダサいことっていう認識があって、なんとなく自分で完成を決めた状態で提出したいのです。



課題の終わらせ方が分からないっていう人が多くて、なんとなく「作品の終わり=完成を提出期限」に設定してしまう人が多いような気がしますが、はっきり自分で決めたほうが良いですよ。



慣れないと難しいですけど。



ただ、作品なんて洗練し始めれば終わりが無いですから、自分が一番いいと思うタイミングでとっとと終わらせればいいんですよ。



これ以上詰めて考えても、結局同じところをぐるぐる回るだけ。もちろん、日によって変化はするけど、結局巡り巡ってどこか同じところで落ち着く



って分かる瞬間がありますから。



で、この瞬間が、その作品の完成じゃないでしょうか?



ちょっと分かりにくいので、具体例を挙げましょうか。



僕は最近、人に頼まれてイラストの仕事をしたのですが、その内容が、A1用紙いっぱいに、1p各くらいの植物の柄をプロットしていって、A1用紙一杯にボタニカル(植物柄)の柄が入った紙を作ったんですけど、A1用紙いっぱいにある花柄・植物柄の中から不要な柄を消していって、綺麗な余白を取る作業をやっていました。



で、最終的に



「これだ、この余白が一番美しい」



ってところまで1週間くらいで持っていけたんですけど、次の日見ると



「なんか違うぞ・・・」



ってなるんですよ。笑



で、その日また修正して、次の日見ると



「ん??昨日の方が良くね?」



とか思ってしまって・・・



で、さらに3日ほど空けてまた見ると、



「あ、この方がいいじゃん!」



ってなって



その次の日見ると



「鬼だせぇなこれ・・・」



ってなって、修正するとほぼ1週間前の状態に戻っちゃって・・・



それをまた修正して・・・・



ってのを約1か月やり続けて、



結局ほぼ最初に「これだ、この余白が一番美しい」



って感じた時の状態に戻ったので、その状態を「完成」と決めました。



こういうことってよくあって、結局この絵も、僕が1か月後、1年後に見るとまた違った印象に見えるんです。



結局、時代を超えて僕が納得できる状態には永遠にならないんですよ。



真面目に作品を作ったことがある人なら分かる感覚だと思うんですけど、こういうのが自分の中での作品の完成だったほうがしっくりきませんか?



他人が決めた提出期限が完成日ってバカバカしいじゃないですか。



とりあえず、僕はこういう風に考えているから、提出期限ぎりぎりになって、作品を出すっていうのがすごく嫌いなのです。



ということで、いつも



「提出期限に対して余裕をもって作品を完成させて提出する方が良い。寝てないとか、間に合わないとかいうのは非常にダサい」



と僕が言っている理由は、個人的にこういうことですよ〜っていうのを説明しておきました。




本当は面倒くさいから音声だけにしておきたいのですが、音声だけだと人気無いので少人数にしか伝わらないので、これはこれで文章に書き起こしもしてみました。



それでは!






posted by まっく at 22:51| Comment(0) | 辛口エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月18日

質問の技術と会心の一撃

こんにちは。



今回の記事は二本立てです。もちろん、僕の時短のための二本立てです。



内容ですが、全体的に他人の事を考える、他人に配慮して生きることがどれだけ自分にとってプラスになるかを書きたいのですが、こっちの「質問の技術と会心の一撃」という記事では具体例を出して、もう一つの「他人思いが結局自分を救ってくれる」という記事では、もう少し精神論というか、抽象的なことを書いています。



以前何度か記事にも書いたことがあるのですが、質問の仕方がうまくなるだけで、先人が長い年月かけて培った技術やノウハウを一瞬で盗むことが出来ますので、質問の能力というのは出来るだけ磨いた方が良いかと思います。



何かに行き詰った時、自分に分からないことがあったとき、他人に聞けば最も早くその疑問解決にたどり着く可能性が高いと思うのですが、質問する能力、質問の仕方によっては全く先に進めないって事が山ほどあります。



僕もブログやTwitterをやっていますので、昔と比べれば最近よく質問を頂くことが多いのですが、その「質問の内容」以前に「質問の能力」が低すぎる・・・



だから、ちょっと質問の内容以前に質問をする時にどう配慮したほうが良いかを記事で書いとこうと思います。

※こういう記事で「僕(=まっく)が最も快適になる質問をするために質問者であるお前らが配慮しろ」といいたいわけではないからね。僕は質問きたら答えますけど、来ないなら来ないで困らないから。
ただこの記事では、質問が適切に出来るだけで、ほんとに色んなことから救われるっていうのを知って欲しい。




どう表現したらいいのかな・・・



下手な人の質問というのは、それこそGoogle検索かける感じで人間に質問してるという感覚でしょうか。



Google検索で得られる回答と、人間から得られる回答の違いって分かりますか??



僕の結論から書いておきますが



Google検索で得られる回答は、「キュレーション前(選びぬかれる前、並び替えられる前)の回答」です。つまり、ありとあらゆる回答を与えられて、その中から“自分=質問者が”吟味して、最適だと思う回答を導き出さなければならない。これは、考える材料の意味が理解できる程度の効果だと思います。



人間から得られる回答というのは、「キュレーション後(選びぬかれたもの、並び替えられ、質問者用にカスタマイズされた後)の回答」です。つまり、“相手=回答者が”質問者の状況、環境、ステージ、ボキャブラリーに合わせて最適だと思う回答を導き出さなければならない。これは、簡単に言うと会心の一撃並みの効果があります。



言葉で書くと分かりにくいので、図で説明しましょうか。
(前に「盲目的な努力をしないための努力」という記事で使った画像です。僕が物事を理解しようとする時によく使う歯車の図です。便利なんですよ個人的に・・・笑)

6.jpg

あるAさんが、誰かに質問しようとしたとします。あるAさんには、図のように沢山の背景と知識があります。

7-2.jpg

けど、「知識Dを動かすためにどうすればいいですか?」という質問をAさんからもらった質問者は、Aさんの事を全く知らないので、この図のように見えてしまいます。

これだと、回答者が答えるよりも質問者がGoogleで検索したほうが早い。

8.jpg

けど、もしAさんの情報が質問者にもっと伝わっていれば・・・

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回答者は会心の一撃のような回答を導くことができます。


※図を文章で説明するとどうも複雑なニュアンスが伝わりにくいので、音声と動画でも詳しく説明しています。






歯車そのものが、Googleに質問(検索)すれば得られる回答。で、歯車と歯車の間が、適切な人間に適切に質問すれば得られる回答です。



図のようにGoogleのようなシステマティックな回答は、例えば単語の意味(広辞苑的な意味)とか、英単語の和訳(前後の文脈を考慮しない和訳)とか・・・



人間による「会心の一撃」的な回答は、例えば単語の意味(質問者が知りたいと思ってる単語の意味が、質問者とどう関係していて、そこから何が広がっていくかを見据えた単語の意味)とか英単語の和訳(前後の文脈を考慮した単語の意味、さらに、それに変わるもっと最適な表現は無いのかなどなどを考慮した和訳と、適切であれば新しい英単語)とか。



で、この図を見てピンと来ればなかなか質問慣れしてるというか、良い質問を心がけてる思うのですが、分かります?



歯車単体は、沢山集めないと意味が無いんです。けど、歯車と歯車の間って、1個集めると全部回るんです。



つまり、Googleは今のところ、検索をかけてる人間が



「どれだけの歯車を持っていて、その歯車がどこに配置されていて、どれだけ噛み合っているのか?」



という情報を持っていない前提で回答をするシステムですので、結局自分で歯車と歯車をつなげなければいけない。
※ちなみに、僕は学校教育もGoogleと同じだと思っていますけどね。



けど、適切な人間の回答というのは、



「どれだけの歯車を持っていて、その歯車がどこに配置されていて、どれだけ噛み合っているのか?」



という情報を踏まえて回答してくれる場合が多い(質問・回答の関係を深く理解している人に質問する場合に限る)。



つまり、質問者の質問を深く観察し、良く聞き、質問者を理解することで、回答者は質問者のどの歯車を回せば全てが回るのかをずっと考えているんです。



こういう背景があって、質問さえしっかりすれば、適切な人の適切な回答というのは、会心の一撃になるのです。



今ってSNSが発達しているので、SNSで普通関わることの出来ない人と関われますし、YoutubeやTEDで、一流の人間のスピーチ・思考を学べます。さらに、Google検索も非常に優秀ですので、本気出せば学費0で学校に行くよりはるかに良いことを学べます。



しかし、これだけ素晴らしい時代に、わけのわからない(それ悩む!?みたいな事)ことで悩んでいたり、どれだけGoogleで検索しても人に聞いてももやもやしてて、何も成果が出ないし何も解決しないって人は、質問の仕方が下手なんです。



どういうことかというと、全ての質問をGoogle形式でやってるんですよ。



Googleで検索する時はGoogleで単語や専門用語を入力する。で、意味だけ見て深追いしない。深追いしないから理解できず、人に聞くことになってもGoogleで検索するのと同じ聞き方しか出来ないから、微妙な答えが返ってくるか、「Googleで検索してください」と言われるかのどちらか。



僕のブログやTwitterでも、最近質問が増えてきてこの感覚がものすごくあります。



この前Twitterでも



「質問増えたはいいけど、質問したらしっぱなしで、何の反応もない人が多くて、そういう人とはあまり関わりたくないから、今後質問もらっても一切メール返さないからね」



とツイートしたのですが、多分こういうのにネガティブに反応しちゃう頭の悪い系の人達は



「なにこいつ、お礼とか言って欲しいの?」



とか



「さびしがりなの?」



とか思っちゃったんだろうけど、そうじゃなくて、



「人間に質問して、お礼も反応無い=Google検索と同じ質問方法で質問してきてる可能性が高い。」



からです。(というか、質問文がもうすでにそうだからね・・・)



これだとお互い時間の無駄なんです。歯車を欲しがってる人は僕に聞くよりGoogleで検索するほうが早いですから。



結局僕のところに来る質問も質問によっては吟味に吟味を重ね、ものすごく考えた上で



「Googleで検索してください」



と返すことがありますからね。



それは手を抜いているのではなく、どうやって考えても質問の意味が分からない
(質問の意味が分からない=相手の歯車の状態・数・間・位置などが分からない)
から、最も誠実な答えが「Googleで検索してください」になることがあるんです。



それだと、最初からGoogleで検索したほうが圧倒的に効率が良いでしょ?



友達や元々良く知ってる人、家族などは別ですよ。だってよく知ってるから。性格も語彙力も歯車の数も位置も大体分かってるからね。



僕は嫁とほとんど会話しないんですけど、たまに嫁から何の前触れも無く「OOってどうしたら良いと思う??」みたいな雑な相談受けたりするんですよ。



で、僕が答えると



「ものすごくシンプルだけど、自分で考えててもずっと辿りつかない答えだと思う」



って関心してもらうことがあるんですよ。(ノロケですみません)



それは、僕が嫁と付き合い長いですから、嫁の性格も語彙力も歯車の数も位置も大体分かってるからなんです。



だから、嫁からの一言二言の雑な質問でも、僕は



「どの歯車が足りないのか、簡単な回答でこの人の歯車を最も沢山回すことの出来る回答はどれか?」



と考えることが出来ますので、最終的に会心の一撃の回答が出せます。



けど、ブログとかで全く知らない人から嫁とか友達と同じテンションで質問されても同じパフォーマンスは出せないよ。笑



もうね、あるあるのパターンなんですけど



「こんにちは(自己紹介無しで)、早速ですが」



「どうも、学生の者です。」




みたいな入り方の質問ね。



別にいいんだけどさ、誰だよ・・・って思いません?



まぁ僕の書き方が悪いのかもしれませんし、質問受付のところに「個人情報など僕に知られたくなかったら伏せてもらっても大丈夫です」と書いてるので、質問下手な人とか質問慣れしてない人とかってこういう感じになるんだと思うんだけど、ちゃんとしてる人の質問には聞いてもないのに必ず「職場名(大学名)・名前・学科・活動(もしくは、これらにかわる材料)」が書いてありますからね。



個人情報よこせってわけじゃないよ。欲しいとも思わないし。
(これいつもおもうんだけど、知って僕が何の得するの?笑)



僕みたいにブログ記事に自分の考えとか書いてれば仕事内容や大学名・名前を明記しなくても大学名・学科・活動を知るより情報量がある場合はそっちのほうが回答しやすいからね。



けど、そういう活動もしてなくて、いきなり



「やぁ、どうも、僕(私)です」



みたいなテンションで来られましても・・・



とりあえず、質問をする場合、「どういう回答を求めて質問するか?」によって、質問方法を変えるべきだということくらい分かりません??



で、そういう当たり前の他人に対する配慮が面倒くさいなら、他人頼ろうとせずにまずGoogleで調べて自分で考えて、一人で考えてさぞかし立派な答えを出して誰とも関わらずに幸せに生きれば良いんですよ。



皮肉で言ってるわけではないですよ。



僕も攻略サイト以外に学生の時に作った以来全く更新してないしょうもないくっだらないHP(何故かこっちのほうがアクセス多い。笑)があって、そこから未だに広告収入はいってきますし、FXや株もやってますので、誰とも接触せずに生きれる事を知ってますから。



難しいことではなく、やろうと思えば出来るんですよ。だから、そうすれば良い。



けど、それも出来ないのに自分都合で他人の力借りてやろうなんて、それはアホ極まりない発想ですよ。



それこそカイジの利根川が言ってるように



「世間はお前らのお母さんでは無い」



のですから。



まぁこれ以上これ関連のこと書いていたら終始愚痴になりそうなので最初の趣旨に戻りますが、とりあえず雑な質問してくる人が多すぎ。
※僕に限らず、多分他の人にもそうしてるんだと思います。だからこそ、疑問が全く解決しないんだと思います。それはもう、「何の質問するか?」って次元じゃないと思いますよ。



で、こういう人にも極力誠実に答えたいからいつも消化不良の回答を送るんだけど、やっぱり誠実に答えると全て「Googleで検索してください」になるんです。



だから、どうすればそういう人の質問力が上がるのかを考えた結果、「質問」にフォーカスして僕の意見を書いてみました。



ほんとにね、質問関連で何個か記事書いてるけど、質問力って大事なんですよ。僕も昔から質問ばかりして、人に色んな事を教えてもらって、今でも色んな人に色んな話聞いて、学ぶこと沢山ありますから。



けど、色んな人たちから来る質問を見てると、下手すぎる。



これじゃあ、誰に聞いても誰も適切な回答をしてくれない。



だから、質問したいこと云々の前に、もっと周りに配慮した質問力を身につけてはいかがでしょうか?



という意味をこめて、今回はこの記事を書いてみました。



あと、最後にもう一回書いときます。



こういう記事で「僕(=まっく)が最も快適になる質問をするために質問者であるお前らが配慮しろ」といいたいわけではないからね。僕は質問きたら答えますけど、来ないなら来ないで僕は何も困らないから。
ただこの記事では、質問が適切に出来るだけで、ほんとに色んなことから救われるっていうのを知って欲しい。



※今回は細かいニュアンスの説明が多いので、音声+動画の記事だけにしたかったのですが、僕の場合、文章の記事と音声の記事で、僕は音声や動画の記事のほうが圧倒的に良いことを言ってると思ってても、音声や動画にするとアクセスが激減しますので、文章でも同じこと書いています。



けど、個人的にはやっぱり音声+動画解説のほうがオススメです。



以前書いた質問に関する記事はこちらにまとめておきます。



■ 質問力がもたらす効果



■ 盲目的努力をしないための努力



■ 「他人思いが結局自分を救ってくれる」






posted by まっく at 22:42| Comment(0) | 辛口エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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