建築学科攻略サイト

凡人が建築学科をスムーズにクリアしようと試みるために作ったサイトです。「攻略したぞ!」という過去形ではなく、「攻略できるかな?」というニュアンスです。
正確には、建築学科(を)攻略(したい人の)サイトです。
自分が建築学科出身で、今いろいろと仕事をしている中で、実際の現場を見て思ったこと、感じたことなどを、建築学生時代の経験に絡めて書いております。
よろしくお願いいたします。
 

2018年03月29日

設計課題やコンペに取り組むうえで気を付けていた事

こんにちは。



今回は久方ぶりにちゃんと建築っぽい記事を書いてみました。



ここ最近、就活とか日記とかエッセイ的な記事しか書いて無くて、「建築学科攻略サイト」っていうわりに建築学科感が減ってきて・・・。



これじゃいかん・・・



と、思いまして・・・笑



個人的には、「図面の描き方」とか「アイデアの出し方」とか、こういう微妙なテクニックとキャッチーな言葉で飾ったようなHowto的なものが好きではなく、今あまり積極的に書きたくないのですが、たまにネットとかSNSで流れてくる



「図面の描き方!」

とか



「設計をよりよくする方法!」

とか




とりあえず読んでみるけどあまりにもおもしろくなく・・・



「僕のほうがちゃんとした記事書けそうだなぁ…笑」



って思っちゃうので書いてみることにしました。



この図面のテクスチャはここで使おう!

とか

ドローイングはこの雑誌を参考にしよう!

とか

文字は小さいフォントで色味を減らすとかっこいいドローイングになるよ!

とか・・・



それはそれで大切なんだけど、そのもっと手前というか、奥にあるものというか・・・



こういう小手先だけのふわふわしたキャッチーなHowtoが広がって、皆さん真似するくらいなら、僕の記事読んでいろいろ実践してほしいなぁと思って書いていますので、参考にしてみてください。



とりあえず、今回の記事では実際に僕が学生のころに設計課題やコンペに取り組むうえで気を付けていた事、やっていたことを極力分かりやすく解説してみます。



■ 動画解説



※実際に僕が作ったものを図面・模型写真等用いて解説してみました。サムネは手描き図面です。



僕が学生の頃も、今でも思っていることなのですけど・・・



設計課題とか、コンペでも卒計でも、「自分が見えてないもの」を細かくデザインしようとしすぎだと思います。



もちろん、創作は見えないものを具現化していく作業ですので、それはそれで良いのですが、天才でないかぎり、凡人は見えないものをいきなりドカッと形にするわけではなく、少しずつ地道に見えるようにしていかないといけないのです。



僕の感覚で言うと、見えてないもの、見た事ないものの行く末を、自分が見た事ない状態で考えるってめちゃくちゃ難しいんですよ。



けど、真剣にそれに取り組もうとしてる人が多すぎて、いつもびっくりしています。



例えば設計課題とかコンペ・卒業設計・卒業制作・卒業計画って提出物が基本「模型+図面」でしょ?



で、色々と考えてアイデアが固まってきて



「よしこれから模型作ろう!」



って手伝いとか雇って模型作って、並行して徹夜で図面作り始めて、提出期限ぎりぎりで



「なんとか形になった!」



って、出来上がったもの提出しているでしょ?



今はどうかわかりませんが、少なくとも僕が学生の時は周り大体そうでした。



僕からしたら、



「いや、それ提出じゃなくてスタート立っただけだから・・・」



って感覚になるんですよ。



皮肉とかそういう意味ではなくて、純粋に「え!?何を見て何をデザインしたの?」って思いません?



自分のアイデアが最初に形として見える瞬間って、少なくとも学生とか課題・コンペの段階だと模型と図面が「“一旦”完成した瞬間」でしょ?



いったんその状態を見てみないと修正点分からなくないですか?



僕の場合、コンセプト考える→ボリューム模型作る→ラフ図面にする→1/100とか1/200で空間模型作る→1/100とか1/200で計画模型作る→1/50で詳細模型作る→詳細図描く。とりあえず自分の思い描いたプランを目に見える形にしてみる。



この時点で自分が思っていたものが初めてこの世に立体として生まれてくる。



で、生まれたものをそのまま提出してる人多いんですけど、普通“ここから”がデザインor設計のスタートですよ。



よく



「もう作ってしまった状態で、思っていたのと違った場合はどうするんですか?」



とか聞かれていましたけど、その場合は0からまた作り直せばいいんです。



ストイックとかマッチョとかそういう話じゃなく、普通に一度完成形を見ないと修正できない箇所山ほどあるじゃないですか。

※これくらい手伝い不要、一人で十分できます(というかできてた)し・・・。※A、あと、こういう「手伝い不要論」書くと毎度一定数「手伝いがいることで色んな人の意見が集まってアイデア昇華される」みたいな反論受けるから先に言っときます。それは大正論ですが、そういうこと言う系の人のその意見、たぶん言い訳。ディスカッション出来てると思い込んで、実際は作業に追われて、人が集まる意味のあるポジティブな意見交換できてないと思う。



例えば、



1/200のスケールでは豊かに見えた空間も、1/50のスケールに直してみると傾斜めっちゃ急じゃね?とか、1/200のスケールでは小さく見えた窓も、1/50で人置いてみたら開口部バカでかいな・・・とか、



1/200のスケールで描いていた図面では開口部だったところが、1/50で模型作ってみると構造的に弱いから「ここって構造強化してまで開口にする必要ある?」って疑問出てきたり



1/100の図面ではわりと控えめに置いていた植栽が、1/50になるとすごくうるさいとか



1/200では超かっこよかった空間が、スケール拡大するとダサかったり、逆に1/200では存在にすら気づかなかった空間を1/50の模型で発見して、そこからアイデアが飛躍したり



僕が学生のころからよく製図室でMacとスタイロの塊眺めて寝袋しいて「う〜ん・・・」とか考えこんでいる人いましたが、たぶん本人も何か考えていると思い込みながら、実際やっていることって



「何を悩んでいいのかわからないから悩んでいる」



だけだと思います。




ほんとに、実際やってみると死ぬほどよくわかりますが、模型大量に作って、図面大量に書いて、とにかく手を動かしていたらアイデアや考えなきゃいけないこと、修正しなきゃいけないこと、山ほど出てきて机でPC眺めて「う〜ん」とかやっている暇ないですからね。。。



僕が尊敬してやまない、奥山清行さんっていう超かっこいいデザイナー(車とかデザインする人)がいるんですけど、何かの番組で




「肩から先の手は別人で、手が自由に創作するのを私は客観的に見てて、手という人間が作り出すものに「もっとこうしたほうが良いんじゃない?」「え?そんなの作っちゃう?」って常に問いかけている」




みたいなことを言っていてえらく感動したことがあるのですが、ほんとにその感覚になります。



トレースとか繰り返して手に歴史や知識が染み込んでいれば、その手をひたすら動かすと時折自分が想像もしていないものが生まれてきたりしますから。



自分が考えている事の現段階での完成形を一旦見て、そこから初めて色んなアイデアが出てくるわけです。



が、しかし、手を動かさずに、“一旦”完成形も見ることなく、「こんなのは、きっと形にするとこんな感じになる、で、こんな感じのこの部分は、きっとこうなるに違いない」てな感じで、



重要なことを想像で越えようとしている人



がなぜこんなに多いのか・・・



「こんなのは、きっと形にするとこんな感じになる、で、こんな感じのこの部分は、きっとこうなるに違いない」



って、言葉面見ただけでも、「抽象的でふわふわした作品しか生まれてこない感」がそこらじゅうに漂っていませんか?



10000歩くらい譲って何度か試してある程度感覚つかめていたらなんとなく想像と出来上がった作品がほぼ同じっていう状態まで持っていけると思いますが、最初の課題から一旦の完成形がそのまま提出物ってありえないよなぁ。



って学生のころからめちゃくちゃ思っています。



けど、建築学科界隈、未だに手より口動かす人のほうが多い。しかも大体「使ってる言葉がややこしい」だけで大して重要なことは言ってない。



まぁそれが一番楽ですからね。



楽なわりに「こいつ、考えてやがる・・・」って思われやすいし。

※ただ、仕事はじめたらシビアだしお金絡んでくるし、そういうハッタリってすぐバレるから、学生の時だけにしとくことをお勧めしますが・・・。




とりあえず、設計課題とかコンペって基本だれも見たことのない新しいものを作るけで、そうなると自分も見たことが無いし、審査する人やオーディエンスも見たことが無いものじゃないですか。



それを他人にプレゼンする時って自分が自分のアイデアのすべてをめっちゃ見て、理解していないとできないと思うんですよ。



けど、テスト段階の「“一旦”完成形」っていう状態を、そのまま完成品として提出している人がほとんどじゃないですか?



そういうのってたまたま運が良ければコンペ引っかかったり評価されたりするかもしれませんが、深く掘り始めるとなんとなく薄っぺらい作品になります。



作者がいったん完成形を見てそこからさらに修正してるいかどうかって、出来上がった作品の「深み」に差がものすごく出ますよ。当たり前ですけどね。



例えば、日本地図全体を上から眺めて東京について考えた人と、日本地図全体の俯瞰とズームを繰り返して東京について考えた人、できたものを見なくても、やった行動だけ聞けば出来上がるものに大きな差があることが分かりませんか?



Googleマップで「日本地図」を上から見て、東京の街並みの魅力と、その最大限の活かし方、それを形に変える方法について考えられます?



ムリじゃないですか?



僕は無理ですね。



莫大な知識と住んでいた時の記憶があればなんとなくできるかもしれませんが、そこに労力とエネルギー使うくらいなら実際に行って現地見るか、ストリートビューでズームして色んな事観察するべきじゃないですか?



日本地図で俯瞰しながら、東京と日本全体との関係を見て出てくるアイデア

と、

東京の細部を見て出てくるアイデア

と、

東京に住んでいる1人の個人と話をしてそこから生まれてくるアイデア

と・・・



これら行動のスケールがすべて違うから、出てくるアイデアも全然違うわけで、この沢山のスケールを行ったり来たりするからダイナミックで繊細なアイデアが生まれてくるわけです。



ということで、自分自身のアイデアや作品に色んなヒントを発見するためにも、もっと手を動かしたほうが良いですよ。



今までトレースの話ばかりしていたので、



僕の言う「手を動かす」=「トレース」みたいな感じになっちゃっているけど、それも大事ですが、自分の作品で沢山模型作ったり沢山図面描くことで、どんどん良いもの出来るようになりますからね。



それはただ細かい模型を作るとか、デカい模型を作るとかそういう事では無くて、自分のアイデアや発想を超立体的、多角的に見るために、色んなスケールの模型を作ってみたり、スケールによって考える・詰めていく場所を変えてみたり。



もっと手を動かして、色んなもの試作していった方が良いと思います。



コンペのプレゼンとか審査風景とか見てても、



審査員が大きいスケールで質問しているのに模型のスケールで答えてたり(多分自分の作品を別のスケールで体験し、考える行動をしていないから)



1/200とか1/500くらいの模型しか作ってないから、構造の事つつかれても「構造なんて関係ねぇ!」とか平気で言えちゃったり。



構造気にしなくていいとか思っている人は、一回自分の1/200とか1/500の小さい模型を1/50で作ってみてください。



構造考えないとスチレンボードで模型すら作れないからね。模型ですら再現できていないものが、他人に



「リアリティのある豊かな空間」



として認識してもらえると思います?(VRならできるけど・・・)
※思ってるなら他人を自分に都合よく見すぎだと思いますよ。



こういうところでアイデアのリアリティが一気に無くなったりしますからね。



こういうのって当たり前にいろんなスケールの模型作ったり、図面描いたりしてると普通に当たり前の感覚で理解できますけど、いつもCGでイメージパースしか作らない人とか、模型も1/100、1/200~500スケールの模型1個とかしか作らない人は永遠に気づかない感覚です。



逆に、自分の中での「一旦の完成形」を色んなパターンで作るだけで、あらゆるスケールの質問に対応できますし、あらゆるスケールで物を考えることが出来ます。あらゆるスケールで修正していくことが出来ます。



これだけでも相当アイデアや作品に差が出ますので、もっと手を動かしてみてください。



建築界隈or建築学生は最初の発想に頼りすぎですし、すべてを託しすぎです。



頭の中で



「これがこうなってこうして・・・う〜〜〜〜〜ん・・・・」



と、何度も何度も考えて最適解を導き出すなんて天才がやることですから。



最初の段階ではなかなか必然性が見いだせないものでも、それを感覚でもいいから形にした後にいろいろなことが見えてきます。



だから、とりあえず形にしてみれば良いんです。



形にして、色んなスケールで模型作ったり、図面描いたりして見て。



一旦形にすることで、全体を見渡せるようにすることで、見えてきた問題点・感覚に頼ってたところを詰めていくことで、感覚でひょっこり出てきたようなふわふわした抽象的なアイデアや形・創作に、必然性が生まれてくるので、その感覚をつかむ、養うためにも、手を動かしまくりましょう。



あたまであれこれ考えるのは、その後にやるべきことです。



とりあえず、この記事はこのへんで。





それでは!









posted by まっく at 21:27| Comment(0) | 建築学科 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月08日

そのスープ、そろそろ個体になって食えなくなるんじゃないの?



こんにちは。



最近、質問箱とかTwitterとかばかりやっていて、さらに遊びでインスタも始めたので、その時々にその都度思ったことを書いたりしているのですが、いかんせんそれが楽(らく)すぎまして・・・



永遠にブログ記事を更新することを忘れてしまいそうですので、ここで一旦、最近の出来事についてちゃんとした記事を書いておこうと思います。



この時期になると毎年毎年、僕のTwitterのTLは卒業設計展の話題で溢れかえっています。



そろそろ、



「もっと現実の社会はこう変わっていくだろう」とか、

「VRのこんな良いアプリが出たよ!」とか、

「こんな面白いもの(サービス)が出来ていたよ!」とか・・・。



そういうところで盛り上がってほしいのですが、そういうのはごくごく一部の人の中でしか盛り上がっていないみたいで、多くは卒業設計展がらみの話題でいっぱいです。



それはそれでいいんですが、それこそ、お客さんがずっとずっといないラーメン屋さんが、継ぎ足し継ぎ足し秘伝のスープを煮込み続けていて、



「それ、そろそろ個体になって食えなくなるんじゃねぇの?」



っていう状況になっているような気もします。



界隈では、まだまだ煮込む、さらにつぎ足す・・・あと10年、あと20年・・・



一旦、そのスープ、ほんとにうまいかどうか、お客さんに食べてもらうか、新しいスープを作るとか、ほかの料理から新しいレシピを学ぶとか、色々していかないと、どんどん濃縮されて寸胴と一緒に岩みたいな塊になるんじゃないのか?



って思っちゃうので、感性の豊かな人はいったんそういう界隈を外野から見つめなおしてみると良いですね。



これからゆっくり若い学生も巻き込みながら継ぎ足し継ぎ足しスープを煮込み続け、20年後くらいにお客さんに



「どうぞ!召し上がれ」



ってスープが固まってできた岩提供して



「いや、こんなの食えねぇよ!」



って言われて、



「え!?食えねぇの!?これスープだよ!食えるよ」

「いや、食えないよ!」

「なんだと!この分からず屋!」




ってなるのが一番やばいですし、「邪悪」ではないんですけど、こういう努力に時間と労力を全力でつぎ込む行為は相当な博打だと思っていて、それを知識人っぽい人たちが先陣切って判断力の鈍い若い世代に推奨していくのはもはや罪ですよ。。。

※ほんとは、こっちに書いてたけどややこしくて分けた記事

■ 僕から見た建築界隈を、ちょっと誇張して書いていてみました。

こちらも参考に・・・


なんとなく、最近はSNSも巻き込んで、いろいろと議論されているように見えますので、建築界隈のわりと外側にいる人も参加してきて、「卒業設計を競いあう」っていうことに疑問を持つ人が増えてきたり、「それって違うんじゃね?」みたいな意見が出てきたりするのですが、今出ているこういう議論にもざっくり二種類あって、片方は「それ自体の存在意義を問う」もので、もう片方は「それが存在する前提で、その内容に対してどうこう」という議論だと思います。



で、この二つをきっちり見分けることが出来ない人が多いような気がします。



これが原因で議論がごっちゃになって複雑に見えている人も沢山いると思いますが、後者の



「それが存在する前提で、その内容に対してどうこう」



議論は結局今までと同じようにスープを濃縮する議論を続ける行為ですから、僕はあまり価値のある議論ではないと考えています。



けど、こっちのほうが盛り上がっている・・・。



なんだこのラーメン岩石化計画魂・・・



それこそ、僕は学生のころから



「それ自体の存在意義を問う」



っていうスタンスを今まで一貫していますので、相変わらずこの内戦状態が続いている状況を外野から見ているのですが、毎年よくわからない方向に向かってちょっとずつしか進んでいかない議論に対して、いつまでこの無意味な議論が続くのかなぁと感じています。



「2日後はどう」とか「3か月後はどう」とか「来年はこうするべきだよね」とか・・・



目先のことも大事ですが、いったんそれよりももっと先に焦点をあてて、そこから今の状況にさかのぼってくることが大切ではないでしょうか。



目先のことを積み重ねていって自然にたどり着く未来と、いったんゴールを決めて、仮のゴールを見たうえで、そこから逆算してきた状態でまたスタート地点から目先を見て地道に前に進むのと、進み方、進むスピードはそこまで大きく変わらないんだけど、たどり着くゴールが違いますからね。



明日のスープはより濃厚に。明後日のスープはもっと濃厚に・・・



・・・



そもそもスープの濃厚さを追求する意味は・・・?

そもそも市場は濃厚スープを欲しているの・・・?



そこが抜けてたらどうにもならないよ・・・。



色んな議論を重ねることは大事なことだし、やったほうが良いと思うんですけど、何か自分の軸をもって議論に参加したほうが良いと思いますよ。



じゃないと、今界隈がどういうテーマでどういう軸とどういう軸を持った人たちが議論しているかも分からなくなって、結果「そこに参加だけしているけど宙に浮いている。」みたいな状況になりますので。



審査方法とか、これは本当に1位なのか?とか・・・



どうでも良くないですか。



1位は1位だよ。結果1位なんだから・・・。



多分、目先のことしか見えてない人、何の軸も持っていない人にとっては



「この作品が社会的・建築界隈的に良い作品かどうか?」



の議論をしているっていう目線で議論が展開されていると思っているんだろうから、色々と順位付けとか審査方法にケチつけたくなるんだろうけど、僕の目には



「外的要因で多少確率を操作できる(←ここ重要)サイコロを転がして出た目の作品が1位だった」



っていう風に見えているんです。だから確率論的に出てきた1位は1位で良いんですよ。



こういうこと書いたり言ったりすると、その都度



「いやそうじゃないでしょ!」



っていう反論を受けるんですけど、それはその瞬間とか、直近1年とか、そういう極端に短いスパンでしか見えていないからそういう疑問が生まれてくるわけで、もう少し長い目で見るとたぶん僕が言っていることも理解できるんだろうなぁと思います。



僕が学生のころは今よりももっと「コンペの存在意義に対する疑問」を持っている人が少なくて、それこそコンペで賞取った作品=いい作品、未来の建築にインパクトを与える作品、っていう扱いを大多数から受けていたように思います。



僕は「なんのためにコンペやっているの?」って聞かれて、いつも「バイトするより金になるから」って答えて一定数の反論・反発を受けていたのですが、当時から現代の「アイデアコンペの“賞”って意味あるの?」っていう雰囲気に、収束していくこと、もっと先に「”アイデアコンペの賞”の価値がどんどんなくなっていく」ことが、当時からなんとなく想像できていたので、その考えは一貫して変わっていないのです。



そして、このアイデアは1位にふさわしいか?この案に社会性はあるのか・・・・?



そんな無意味な事考えている暇があったらもっと世の中の事勉強したほうが良いと思いますよ。



僕は昔を生きている人間では無いから、昔の詳しい事情は本とか歴史でしか知らないけど、コンペのシステムって昔出来た当初の時代性と、今の時代とっコンペの関係性って全然違ってて、賞金以外の意味はリアルに無いと思いますよ。



世の中の事っていうと抽象的すぎますので、もう少し幅を狭めてみると・・・



前にも何回か書いたことありますが、今の少なくとも日本では、建築=経済発展の象徴っていうわけでも無いですから。



個人もパブリックも潤沢なお金があって、広大な土地があって



「よっしゃ!ばんばん建物建てて開発していくぜこのやろう!」

「より良いものをよりクオリティ高く作っていこうぜ馬鹿野郎!」



っていう状況では無さそうでしょ?



「ガンガン行こうぜ!」っていう時代だったら、設計の部分だけ特価して学んでいたらなんとなくおこぼれで仕事のチャンス来たかもしれませんけど、今なんておこぼれで仕事来ないと思いますよ。



おこぼれみたいな仕事も取っていかないとやっていけない会社沢山ありますし。(赤字出ても内部留保でカバーできちゃう会社がそういう仕事するから余計隠れてるのが現状だと思いますよ)



そうなると、「良いアイデア」は一旦置いといて・・・



建設・建築業での資金調達・土地仕入れ・宅地造成・法律の知識があったほうが良いですし、世の中の現状も理解していた方が良いわけです。



僕もたまに建物の仕事しますが、僕は優秀な設計士でもデザイナーなわけでもなくて、ただそのへんの建築士・建築家よりも不動産情報や地域制・資金繰り・税金・法律に詳しいから、「建物(空間)つくろうぜ!」っていう環境を0から作れるからです。



もっと範囲を狭めて個人住宅の話とかすると、例えば



「自分がいくら資金調達できるか分からない。土地もあるかどうか分からない。地域性も分からない。税金関係の知識も無い」



っていう人に



「住むことについて根本から考えた全く新しい住宅を一緒に作っていきましょう!」



なんて言っても、



「いやぁ・・・。不安だし、分からないし、それどころじゃないからねぇ・・・」



ってなるわけです。
※つうか自分を作り手では無く生活者に置き換えたら普通にこういう状況になりません?



「いや、今回の住宅は今までの住宅の概念を根本から覆す云々かんぬん・・・」



とか、どんだけ語っても、どんなに素晴らしいデザイン能力を持っていても、建築に対する知識があっても、仕事につながらない。



だって“環境”が無いから。



※「いや、デザインが良ければ仕事に繋がるんだ!」って言い張るなら、自分で家建てたら?うまい事やったら5000万くらい100%自己出資でも100%回収できる+今後につながるって事だから。



昔みたいに国や地域がお母さんみたいに「は〜い、ここですきなものをつくりましょ〜ね〜」って環境を与えてくれている時代では無いですよ。



逆に、



「自分がいくら資金調達できるか分からない。土地もあるかどうか分からない。地域性も分からない。税金関係の知識も無い」



っていう人に



「あなたこれだけの資金調達が出来て、この枠内であれば親族からの資金援助が受けられて、こういう申告すると税金が還付されて、補助金も受けられて、ここのエリアだとここの自治体が子育てに対する補助が厚くて、このエリアの中ではこういう土地が良くて」



って、場所・金・生活を全て提案出来れば、あとはその場所の制限と予算の縛りの範囲内であれば何作っても良いっていう環境を生み出せますので、そこで自由に創作をすればいいと思います。
※簡単ですからね。20代前半の頃の僕でも資金繰り出来たわけですから、難しいわけがない。



とりあえず、こういう全体最適の時代に、極端なデザインの部分最適ばかり勉強して、「あれがいい」「これが良い」とか順位付けて、それに一喜一憂して、部分最適の中で「これは社会と接点ありそう」「無さそう」って・・・



いい加減、「環境がある前提」でばかり話をせずに、ちゃんと接点持つことを考えたらいいのに・・・。



また「がんがん行こうぜ!」っていう時代が来たらそれは大変喜ばしいことですけど、「そうに違いない」とか「昔みたいに環境がある」っていう前提で色んな議論を展開しても仕方がないと思います。



だから、前ツイッターにも書きましたが



コンペ出すなら出して、その賞金で本買って、知らない講義うけて、勉強深めて道具揃えてプロモーションして、いろんなとこ行って色んなもの食って、感性ひろげてまた創作したらいいんじゃないの?



普通にそういうことが出来ない、ある種すげぇ順位とかに拘る人が、多分こういうときにわけわからん議論始めるんだと思いますよ。



そういう人達で集まって、仲良くスープを個体にしていくのもロマンがありますが、せっかく未来があるわけですから、もう少し外側に目を向けて、



全体を最適化するにはどうしたらいいか?



を、考えてみると良いと思います。





posted by まっく at 15:23| Comment(0) | 建築業界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月07日

僕から見た建築界隈を、ちょっと誇張して書いてみた。

僕から見た建築(or学生)界隈を、ちょっと誇張して書いていてみました。



※ほんとは、こっちの記事の中に書いていたのですが、ややこしくなるので分けて記事にしました。
元記事はこっち

■ そのスープ、そろそろ個体になって食えなくなるんじゃないの?



賛否両論あるかと思いますが、僕にはなんとなくこう見えています。



本当の価値を追求するあまり、部分最適の最果てに行ってしまうと、なんとなくこういう雰囲気になってしまうような気がしますので、一旦外から見てみるのも良いと思いますよ。



それでは、本編へ・・・



外食の中でも特に人気があり、不動の地位を持つラーメン。それぞれ味・作り方が違うスープ、そして食感、麺の湯で加減等・・・。



ラーメンは奥が深い。



そんな中、時代は激化し、経済も低迷。時間と予算に追われながらもおいしくて暖かかいごはんが食べられる、



「インスタントラーメン」



の登場。



安い、早い、うまい。



インスタントラーメンは瞬く間に市場を席捲した。



そんなインスタントラーメン時代に疑問を投げかけた3体の神がいた。



ラーメンは、もっと奥深いものではないのか?お湯を注ぐだけのラーメンは、豊かな食べ物なのか・・・?



この話は、その3体の神の試行錯誤をつづった物語である。



チャー:「しかし、あれだ。最近のラーメンはインスタントばかりになったなぁ」



シュー:「そうだな。丁寧に仕込み、丁寧に仕上げるラーメンの良さをもっと多くの人に知ってほしいよな。あの奥深い味わいは、お湯を注ぐだけの手軽さに勝るものがある」



メン:「我々3体がそれぞれ、インスタントの普及に疑問を投げかけるための、ラーメンを再び考えていこうではないか。」



チャー:「うむ。まず、インスタントには手軽さがあるから、対抗するために時間を
かけてゆっくり丁寧に作っていくのはどうだ?」



メン:「それはアリだな。手がこんでる分、味に奥行とインスタントでは表現できない深みが出る」



チャー:「じゃあ、私はスープを丁寧に煮込んでみることにする。」



シュー・メン:「同意。」



チャー:「シューはどうするんだ?」



シュー:「私には、実は前々から温めていたアイデアがあって。新しいラーメンの形を再提案できないかなと思っていて。」



チャー・メン:「面白いじゃないか。ラーメンという概念を再定義するわけだな。」



シュー:「あぁ、お前らのことをびっくりさせたいから、今度試作品を作ってみるよ」



チャー・シュー:「メンはどうするの?」



メン:「私は、君たちが作った物を世に広めていくため、学校を作ろうと思っている。そこで我々が作ったラーメンを教育して、もっと良いラーメンを作ることのできる若い世代を育てたい。」



チャー・シュー:「素晴らしい!じゃあ、素晴らしいラーメンを作るためにまずはそれぞれ試作品を作っていこう」



メン:「分かった。私はチャーとシューが創作している姿をその都度見ながら、アドバイスをしながら、教育カリキュラムを組んでいくよ。」



チャー・シュー・メン:「よし!やろう!」





こうして、3体の神様はそれぞれ自分のアイデアを形にするために作業と思考に取り掛かりました。






■ チャーの場合・・・



さて、インスタントや資本主義の味に勝るために、まずは手の込んだスープを作ってみよう。仕込み時間を変えて・・・煮込み時間も変えて・・・



そういえば、作っているスープに継ぎ足し継ぎ足しスープを重ねて、濃縮しながらスープを濃くしていく手法を見た事があるぞ



よし、いったん作ってみようか・・・・



1日目、2日目・・・4日目・・・5日目・・・



おお、なかなか濃厚なスープになってきたぞ。どれどれ・・・



うん!うまいじゃないか!



よし、この調子でどんどん煮込んでいくぞ!



・・・・・



そこに、メンがやってきました。



メン「おお、すごくおいしい。いい感じじゃないか!」



チャー「そうだろ、ここからさらに煮込んで、もっとっ凝縮していこうと思ってるんだ!」



メン「よし、その調子だ!どんどん煮込んでいこう!」



そして、チャーは毎日毎日、スープを煮込んでより濃厚にしていきました。



今日より明日はもっと濃厚に。明日より明後日はもっと濃厚に。



より濃厚に・・・



そして、ついに、濃縮に濃縮を重ね、高いところから落としても割れないほどの強度を誇る岩が完成しました。



チャー・メン:「やったぞ!時間をかけて濃縮に濃縮を重ねたラーメンのスープが完成したぞ!」



・・・・・





■ シューの場合・・・




さて、ラーメンを再定義するか。



従来のラーメンは麺があって、スープがある。最近は、汁なし麺というものも出てきた。



う〜ん・・・何かいいアイデアはないものか?



そうだ!麺を細かく刻んでみよう。



なるほど、麺を刻むと、細かい穀物の粒のようになった。



あ!そうだ、これを握って塩をかけてみよう!そうすればおにぎり感覚で片手で食べられるシンプルなラーメンができる!



そこに、メンがやってきました。



メン:「やぁ、シュー調子はどうだい?」



シュー:「ああ、実は片手で食べられるラーメンを開発しているんだ!」



メン:「どれどれ・・・おお、これは斬新だ!より食べやすく、よりおいしく改良してくれ!」



シュー:「あぁ、任せとけ」



こうして、シューは来る日も来る日も、麺を刻んでは、握って塩を振ってみて、硬さや握り具合を微調整しました。



シューは途中で「おにぎりのほうがうまい」っていうことに気づいてしまったので、おにぎりよりもうまくするためにはどうしたらいいか、試行錯誤を繰り返しました。



製麺機を変えてみたり、刻んだ麺の両端を丸めて、お米に近づけてみたり・・・。



毎日たゆまぬ努力を続けていきました。



そして、ついに、本物のおにぎりに近いものが完成しました。



目をつぶって食べればほとんどおにぎりと区別がつかない。



ついに!今までになかったラーメンが完成したのです!



シュー・メン:「やったぞ!ついに本物のおにぎりと区別がつかないクオリティのラーメンが完成したぞ!」




・・・・




そして、3人は集まりました。



チャー:「私は、こんなラーメンを作った。」



チャーの手には、がちがちの岩が握られていました。



煮込み時間、手の込み具合、材料費、人件費・・・それらを加味すると、この岩ひとつに2000万円の価値がある。



シュー:「私は、こんなラーメンを作った。」



シューの手にはおにぎりと区別がつかないほど精巧に作られたラーメンが握られていました。



試行錯誤の時間、実験の時間、製麺機の導入、手間等を考えると、このラーメンには3000万円の価値がある。



そして、メンは言いました。



メン:「いやぁ、よく頑張った。こんな素晴らしいラーメンが出来た事を、私は誇りに思う。君たち二人が作っているところを記録しておいて、教育カリキュラムもできた。よし、自信をもって学校を作ろう!」



こうして、3体の神は学校を作りました。




3体の神々が、インスタント業界に立ち向かうべく、作った真のラーメンを作るための技術と思考を習得できる学校です。



そこには、沢山の生徒たちが入学してきました。



生徒A「どうやら、今までにない本物のそして新しいラーメンが学べるらしいぜ!」

生徒B「そうだな、インスタントにはもう飽きたから。楽しみだ」

生徒C「一体、どんなラーメンが作れるんだろうか・・・」



沢山の生徒がざわざわしている中、校長であるメンのあいさつが始まりました。



メン:「皆さん、おめでとうございます。今日からあなたたちにはこのラーメンを作ってもらいます!」



生徒たちの目の前に、チャーとシューが作ったラーメンがついに披露されました。



それを見た生徒たちは、声をそろえて言いました



生徒一同:「これって岩と、おにぎりじゃないんですか?」



それを聞いた3体の神は、大変驚いた表情を浮かべながら答えました



チャー・シュー・メン:「お前ら何も知らないのか?何を言っているんだ?これは合わせて5000万円の価値があるラーメンじゃないか・・・」




・・・・・




おしまい。





posted by まっく at 15:26| Comment(0) | 辛口エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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